みんなそんなにポイ捨てしてんの?

このニュース。

headlines.yahoo.co.jp

に対してこのブコメ

b.hatena.ne.jp

 

「ゴミ箱がないからポイ捨てするんだろ」ってコメントが多数で、結構ショッキングです。まず元記事に「ハットグ店では店前にゴミ箱を設置し」って書いてあるのに読んでないの?っていうのもあるんだけど、そこはおくとしてもですね。もっと厳しく糾弾されるかと思いきや、完全にポイ捨ては当然って空気。なんなのこれ?まあ「昔は日本人のマナーはもっとよかった」っていうのが嘘だっていうのはそのとおりだと思いますが。駅でもタバコの吸い殻だらけだったし、大人でもそこらで立ちションしてましたからね。それはそのとおり。

でもみんなポイ捨て気にならないの?これハットグの食べ残しじゃなくて吸い殻だったらブチ切れるんじゃないの?「喫煙所がないから歩きタバコするのもしかたない」とか言ったら絶対めちゃくちゃに叩くよね?食べ残しを捨てるのは健康被害がないからいいの?いや街が汚れてたら公衆衛生上もよくないでしょ。

 

ゴミ箱がないせいにしてるけど、みなさん普段ポイ捨てしてるのかな。してるんだろうなー。普段ブコメですげーエラそうなこと書いてるけど、ポイ捨てしてるんだ。へー。え?自分はしてない?じゃああれか、新大久保あたりでそんなもん食ってる連中は野蛮人だから仕方ない、みたいな感じなの?

 

ゴミ箱増やしたほうがいい、っていう意見はわかる。それは対策の提案だもの。でもそのまえにポイ捨てを否定しましょうよ。だいたい「ゴミ箱を置いてもポイ捨てされる」っていう記事なんだからさ。ゴミ箱おけばいいってだけじゃなくて、やっぱりポイ捨てはイカンっていうのがあって、はじめてゴミ箱が使われるわけなんだし。

いやーでも「ゴミ箱がなかったらそりゃポイ捨てするでしょ」って人がいっぱいでほんとショックだわ。ポイ捨てする人が多いのは知ってるけど、もっと後ろめたく感じてるんだと思ってたもん。

 

とにかくまあ、ポイ捨てはやめましょう。あなたもわたしも、ほかのみんなも。

四次元ポケット/未来に向かって落っこちる

 四次元ポケットってあるじゃないですか。なんか「とにかく広い」みたいなイメージしかなかったんですけど、考えてみると広けりゃ便利ってこともないんじゃないかって気がしてきたんですよね。あのポケットの内側には広大な空間がひろがってるんでしょうけど、それがまあ4次元的に広がってるんですよね?だから単に広いんじゃなくて4次元方向にスタックできるってことだと思うんです。

 3次元方向にものを「積む」ことから類推すると、2次元空間の住人が3次元空間を使えるみたいな感じなんだろうと思います。2次元人が普通にものを収納しようとしたら平たく「並べる」ことしかできないけど、彼らが「三次元ポケット」を使えたら、まあ縦っていうか垂直方向にものを「積む」ことができる。うん、これはとても画期的な感じがします。

 

 例の彼がポケットに潜り込むみたいに、2次元人が「三次元ポケット」に潜り込むとどんな感じでしょうか。2次元の世界になんか裂け目があって、そこに潜り込むんでしょうかね。すると裂け目の反対側、つまり3次元の私達からみると、その裂け目からいきなり立体物がにょきにょき姿を現すように見えるんでしょうか。貞子みたいに。(ところで「裂け目」ってなんか哲学っぽいですね)

 出てきた(潜り込んだ)人は、そうして3次元世界にものを置いたり、そこから探し出したりするわけですよね。まあ2次元から見れば限りなく無限みたいに感じられるでしょうが、私達3次元の住民は、いつも場所が足りないと不満を漏らしています。2次元人に「いや、そんな言うほど広くないから」って言いたくなります。「上に積めるったって、そんなに高く積んだら取りづらいし、崩れたとき危ないよ」って。そう、3次元方向には重力の壁があるのでした。

 

 だからたぶん、四次元ポケットの中だって、なにか4次元的な重力みたいな制約があってもおかしくないなぁ、と。4次元方向に「積む」っていっても、いくらでもというわけにはいかないんじゃないかな。足元というかなんというか、そっちに引っ張られたりするのでは?

 

 そういえばよく、時間のことを4つめの次元として捉えたりしますよね。もしそうなら、私達が引っ張られる方向って未来ってことになりますよね。そうか、未来に向かって「落っこちてる」のかもしれませんね。

 時間の流れって、いままさに「流れ」と書きましたが、「流れるもの」っていうイメージですよね。つまり川です。「ああ 川の流れのように」みたいな。「ああ 時の河を渡る船に オールはない 流されてく」みたいな。「ああ」とセットなのかなもしかして。ともかく、川の流れも重力によるものだけれど、水平方向の移動ですね。

 

 そういえば、ヴァルター・ベンヤミンがクレーの天使の絵について書いた美しい文章があります。その天使は過去の方を見つめたまま、楽園から吹きつける嵐に吹き飛ばされて、破壊され瓦礫が積み上がってゆくばかりの過去にとどまることができません。そしてその嵐が「進歩」なのだと。

 

 川でも嵐でもいいですが、落っこちる、ていうのもなかなか悪くないイメージだと思いません?なんかSFにありそう。未来に向かって落っこちる話。なすすべもなく落っこちていく我々3次元の住人に対して、多少なりともそれに抗う能力のある4次元人がかかわってくるみたいな。なんかホントに誰か書いてそうだな。あるなら読みたい。(SF小説苦手だけど)

 

 なんの話だっけ?ああ四次元ポケット。ポケットに潜り込んだとき、その入り口が四次元的な「下」というか「地面」みたいな場所にあればいいけど、「上」にあったら落っこちてそのまま出てこれなくなりそう。もしかしてそういう設定もあるのかな?よく知らない。ともかく、四次元ポケットに入るときは気をつけましょう。

体育苦手だった人にこそランニングはおすすめ

 僕も体育苦手でした。

anond.hatelabo.jp

 

 社会に出てから当然まったく運動しない日々が続いていましたが、40歳をすぎてしばらくしてからランニングをするようになりました。するとこれが学校でやらされていた体育とは大違いなんですよね。

 

他人と比べなくていい

 大人になってから自分でやる運動の一番いいところはこれだと思います。ランニングに限らず、水泳や自転車もそうだと思いますが、基本的は1人でできるスポーツであれば、他の人と比べてどうこうというのは気にしなくていいんですよね。筋トレとかもそうですね。他人から何か言われたり思われたりすることもない。本当に大きなメリットです。

 公園などで走っていると他にもランナーがいますが、みな自分のペースで思い思いに走っています。遅い人がいたからって別になんとも思いません。それにランニングでは LSD (Long, Slow, Distance)といってわざとゆっくり走るトレーニングもあるので、どうしても他人の目が気になる人は、心の中で「いやこれ LSD 中だから」という体で走れば問題ありません。

 

下手クソすぎて無理、ってことがない

 僕は泳げません。いや正確には25mまではギリ行けますが、ものすごくつらい。子供の頃体育の先生もアレコレ教えてくれましたが、どうもフォームが相当ひどいらしい。クロールで息継ぎがどうしてもまともにできない。水泳には憧れがあるので、ランニングで体力がついた今ではいつかちゃんと習ってみたいと思うようになりましたが。

 しかしランニングは下手くそすぎてできない、ということがありません。怪我や障害がなければ誰でも走ることはできる。どんなに遅くても。どんなにフォームがガタガタでも。

 球技がからっきしダメだった僕(どうしてバットやらラケットやらという自分の体ですらないものを使って空中を動いている球に当てることができるのか不思議)、水泳もダメだった僕でも、ランニングはできます。なんてすばらしいスポーツでしょう。

 

成長を感じる

 最初はすぐに息切れして足がビキビキになっても、続けているとちゃんと走れるようになります。僕も最初に散歩の途中で試しに走ってみたら、もう1〜2分で息はあがるわ筋肉は痛むわでヒドいものでした。さすがに約四半世紀もロクに運動してなかったので当然ではあります。それでも、最初1〜2分で限界だったのが5分走れるようになり、30分の散歩のうち途中で5分走って10分歩いてまた5分走るようになり、10分走って5分歩いてまた10分走るようになり…2ヶ月もしないうちに30分間続けて走れるようになっていました。

 散歩を続けたのは主にダイエットのためですが、歩いた距離とカロリーを確認するためにアプリを使ってたんですね。僕の場合は「Nike+ Run Club」でしたが、だいたいこの手のやつは GPS で走ったコースを地図上にプロットしてくれたり消費カロリーを教えてくれたりするので。で、もちろんペースや距離も出るわけですが、こういうのを見てると自分がだんたんと「走れる」ようになってきているのが実感できるわけです。

 スポーツでこんなに自分の成長を実感したのは初めてでした。しかも客観的な数値で。そりゃあ運動得意な人達みたいにはなれないけど、過去の自分を上回っていくことはできる。これが嬉しくて、だんだん「明日はもう少しいけるかな」「早くまた走りたい」などと思うようになっていました。過去の自分からは考えられないことです。

 

体調、体型、機嫌がよくなる

 体力はぐっとつきます。普段運動してない40代の人で、30分走れる人はそう多くないでしょう。体力があれば日々の生活が楽になりますし、いろいろなことに余裕が出てきます。

 僕のようにダイエットしているならば、ランニングは非常に効率的で効果的です。もちろん食事のコントロールが第一ですが、食事とランニングを組み合わせることで(変化のペースは人それぞれですが)確実に変化は訪れます。

 そして案外見過ごされがちですが、機嫌がよくなる。本当です。僕も以前は「スポーツでストレス解消」なんて言われても全然ピンときませんでしたが、ランニングのようなリズミカルな運動ではセロトニンの濃度が高まることが知られています。「幸せホルモン」とも呼ばれてるやつです。実感としても、走れている時期は気持ちも落ち着いています。

 もちろん健康面でのメリットは極めて大きいです。ランニングによって心拍出量が増大するとともに心拍数は下がり、筋肉は強くなり、肺活量も増え、毛細血管とミトコンドリアが増えます。健康診断などでも僕はいろいろな数値が改善しました。

 ところでミトコンドリアが増える、ってすごくないですか?僕はロマンを感じます。わが内なるミトコンドリアたちが目覚めたか…みたいな。「くっ!鎮まれ俺のミトコンドリア!」とか中二病ごっこも楽しいです。(やらなくていい)

 

レーニング科学が面白い

 どんなトレーニングにどんな効果があるのか、どれくらいの強さで、どれくらいの時間やればいいのか…トレーニング科学は面白いですよ。知識から入るタイプの人はこっちから攻めるのもおすすめです。

ダニエルズのランニング・フォーミュラ 第3版

ダニエルズのランニング・フォーミュラ 第3版

 

  僕が持ってるのは第2版ですが、第3版も翻訳でてたんですね。これ面白いですよー。著者のジャック・ダニエルズは、メダリストで博士号もち。その彼によるランニング方程式です。有酸素性作業能(VO2max)だの、乳酸性作業閾値(LT)だの、字面だけでわくわくします。表やグラフがどっさりで、最高に理屈っぽい!効率的なトレーニングの理論は実に興味深いです。こういうの高校の頃に教えてほしかった!あなたが凝り性なら絶対ハマります。一緒に VDOT を向上させましょう!

 

故障には気をつけましょう

 はい。年取ると精神力に体力がついてきません。すぐ故障します。膝とかやっちゃう人多数です。僕も足底筋膜炎でしばらく走れなかったことがあります。ランナーあるあるです。楽しくなってくるとどうしてもやりすぎるんですよね。ほんと注意が必要です。これから始める方は、シューズだけはちゃんとしたのを用意しましょう。

 

 

 僕はランニングをはじめて本当によかったな、と思っているので、少しでも興味をもってもらえたらとても嬉しいです。もしその気になってくれたなら、まず散歩から始めましょう。朝の小鳥たちのさえずりでも、夜の街の喧騒でも、きっと楽しめるものがあると思います。そして少し気分がよくなったら、走り出してみてください。

SmartNewsに出たらしい

  昨日のエントリ、突然アクセス数が激増しててびっくりしたんですが、どうも SmartNews に載ったみたいですね。使ってないのでどんな感じなのかイマイチわからんのですが、前の日のアクセス数が20だったのに次の日に3483だって。二桁も違うんで何事かと思いました。アクセス解析のグラフなんて、他の日の棒グラフがペチャンコになって見えなくなってます。

f:id:good2nd:20181117212334p:plain

 でも特に読者もブクマもスターも増えてないようなので、はてなユーザとはあまり被ってないってことなんですかね。一過性なんだろうし、そんなにありがたくもないかな…。

 もちろん普段読んでくださってる皆様には感謝しております。今後ともよろしくお願いします。

学校の先生って割に合わないよなぁ

 けっこう前からスタンダードになっている「さくらんぼ計算」のことで「テストでさくらんぼ計算を書かなかったからといって減点はおかしい」とボロクソに言われてますね。

togetter.com

 

 画像に写ってるテストはいわゆる「カラーテスト」ってやつで、業者が作ったのを学校で活用しているものだと思います。先生が自分で作ったものじゃないでしょう。こういうのを授業の進行や内容にあわせて適宜活用しているわけです。

 もちろん採点は先生がやるので、授業での教え方や指示に沿って採点するのは別におかしいこととは思いません。普通に考えれば、テストに際して「式の下にさくらんぼを書くこと」を口頭ででも指示したんだろうと想像がつきそうなものだと思います。答えがあってればいいってもんじゃなくて、先生の話をちゃんと聞くっていうのも大事だと思いますよ。指示がなかったのなら確かに理不尽を感じるかもしれませんが、そこは画像とツイートからだけではわかりません。

 

 やり方を強制するのはおかしい、という人も多いですが、いろいろな方法を理解して使えるようにしておくというのも必要だと思います。「さくらんぼ計算」は10の補数を元に繰り上がりや繰り下がりの計算を理解するうえで有効な手法で、繰り上がりでつまずく子を減らそうという工夫です。暗算できる子にそんな眠たいことやらせるな、という意見もあるけど、そんなにできるんだったらさくらんぼ書くくらい楽勝でしょうに。数についていろいろな見方が柔軟にできるようになること、というのは、単に繰り上がりの足し算ができるという以上の意味があると思いますよ。さくらんぼ計算を「やらされる」のは一時的なことだし、普段の自分の方法とちがった手法を理解し練習する機会はもたせたほうがいいと思います。繰り上がりで暗算ができたって、数を量として把握できていなかったら別のところでつまずく可能性だってあるし。

 

 集合教育ですからどうしても一律にならざるを得ない部分はあると思います。できる子がかわいそうっていう、超優秀児だったみなさんの気持ちもわからなくはないけど。でも心配しなくたって、公文にでも行ってれば1年生で割り算の筆算くらいまでやってる子はザラですから。家庭教育でも熱心な人は子どもの理解度に合わせていろいろやってると思います。だから「学校だけが勉強の場ではない」ことは子どもたち自身のほうがよっぽど知ってるでしょう。

 

  僕だって学校の先生がおかしいと思うことはあります。算数でも、定期的に話題になる「かけ算の順序問題」は、順序を日本語の語順に固定することは特に理解の助けになるとは思えないし、柔軟なものの見方という点ではむしろマイナスではないかと思います。でもさくらんぼ計算はべつにおかしいとは思いません。

 

 なんというか、ことあるごとに「優秀なひとたち」が学校の先生を叩きまくってて、「先生はモノがわかってなくて、頭がかたくて、独善的で世間知らずのクソ」みたいなメッセージを大量に発信してるのって、すごくこう、危なっかしいな、と思います。もちろん先生が不祥事起こしたりすることもあるし、理不尽な先生だってみんなの記憶それぞれに一人二人いるくらいには珍しくないんでしょう。でも、背景もよく知らないのに自分の考えと違うからって頭ごなしにボロクソに叩くのはどうかと思いますよ。僕もあまり人のこと言えないので自戒も込めてということですが、先生とのあいだに信頼関係が作れなければ教育はうまくいかないでしょう。先生がたまたま本当にダメだったりすることもあるので、ハナから子どもに盲信させるわけにもいかないとはいえ。先生も努力する必要があるけど、社会の側も先生をもっと理解する必要があると思います。

 

 学校の先生って、とても大事な仕事なのにちょっとしたことですぐ叩かれまくって、ホント割に合わない職業だなあと思います。先生方、めげずにがんばってね。

ガマンするのは明日にしよう

「アリとキリギリス」を筆頭として、「将来困るのがイヤなら、いまガマンするべき」っていう寓話は多いですよね。僕たちもそういう考え方が健全で望ましいと思ってます。イヤなことを先送りにしない、将来のために投資する、みたいなのね。実生活でも、老後のために貯金する、将来のために勉強する、夏に向けてダイエットする、とかいろいろあります。

 でも、わかっていてもなかなかできないですよね。いま耐えなければならない苦痛っていうのはすぐ避けたくなっちゃう。それで未来の不利益のことを低く見積もって、「まだいいか」みたいにして先延ばしにしてしまいます。

 図にすると、

 

  現在(ガマン)=============> 未来(ハッピー)

 

よりも、

 

  現在(安楽)==============> 未来(苦労)

 

に傾きがちなわけです。

 だけど、よく考えれば人生はこの二択だけではないはずです。現在を楽に過ごし、将来も苦労しないようにする。で、ガマンはその間のどこかでする

 

  現在(安楽)===(ガマン)======> 未来(ハッピー)

 

 ていうことだってできるはずです。

 

 有名なマシュマロ実験てやつがあります。テーブルにマシュマロがおいてあり、幼児に「15分後にまた来るから、それまで食べずにガマンできたらもう一つあげるよ」といって1人にしておきます。当然ガマンできる子とそうでない子がいるんだけど、その後追跡調査したら、ガマンできた子はよりよい人生を送ってたっていうね。まあこの実験そのものは最近の再現実験では、ガマンできるかどうかはその子の経済的背景による影響が大きいってことだったらしいんですけども。

 その後の人生云々はともかくですね、これを少し変えた状況を想像してみてほしいんです。マシュマロのある部屋に入る前に、「これから君はマシュマロの前で15分待つことになる。15分ガマンしたらその後1つ追加であげようと思う。部屋に入る前に15分ガマンするかどうか決めてくれるかな?」と言われたらどうでしょう。マシュマロはあくまで比喩なので、大人が誘惑と戦うことを想像してほしいんですけども。それで、まだマシュマロを目にする前で、1人になる前に決めるんだったら、ガマンを選択するのはずっと簡単だと思えませんか?

 

 似たような話が、アン・ダリエリーの『予想通りに不合理』に出てきます。年金だか退職金だか忘れましたが、ともかく将来のために給料天引きで積み立てる金額を「いま」増やす、というのはなかなか踏み切れない。でも新入社員に対して「将来給料が上がったら拠出する割合を増やす」という選択肢を提示すると、多くの人がこれに同意したという話です。 

 

 こんなふうに、ガマンを先送りにするのはわりと簡単なんですね。あとは「先送りにしたガマンを確実に実行すること」をうまく工夫してやればいい。 

 たとえばいつもランチにお弁当を買っている人がダイエットしようとしているとしましょう。お昼の時間になってお弁当を買いに行くと、もうお腹が空いているのでカロリー控えめのものよりもガッツリしたものを食べたくなってしまうでしょう。そこで、お昼に食べるお弁当を朝のうちに買ってしまうわけです。後で食べるものを今コントロールするのは簡単です。お昼になったらもう買いにくことはせず、朝の冷静な自分が選んだものを食べればいいわけです。昼に買いに行ってガマンするより、ずっと苦痛が少なくて済むはずです。

 朝三暮四っていうと私達は愚かな選択をさしていいますけど、自分の愚かさを逆手に取ってものごとを楽にやっていく方法って、結構工夫できそうな気がします。いまガマンするのは難しい、将来困るのも嫌だ。じゃあ将来のためにガマンするのは明日にしよう。結構使えそうだと思いませんか?

 

 『予想通りに不合理』を読んでみてこんなふうに思ったのでした。他にもたくさんのヒントが得られた本なので、未読の方は是非。

 

実用書とのつきあい方

 昨日の記事で触れた投資の本もそうなんですが、ときどき実際的な知識を仕入れる必要のために実用書を読むことがありますよね。これも年齢が上がるにつれて心配事が増えたりして、それまで接してこなかった分野のことを知っておかなければならなくなったりします。お金の関係もそうだし、子育てや教育のこと、健康に関することなんかもそうですね。若い頃は書店の実用書コーナーなんか見向きもしませんでしたが、そうもいかなくなってきます。ネットではどうしても知識が断片的で偏るし、全体像がつかみづらい。なのでまだまだ本に頼ることは多いです。

 しかし残念ながら役に立たない本が少なくないというのも実感としてあります。時間とお金を無駄にしたくないので、そういういわゆる実用書を読むときに気にしているポイントがいくつかあります。 

 

最低3冊は読む

 どの分野でも、1冊の本ですべてはカバーできないものだと思います。内容が薄いことも多いし、ある本では常識のように書かれていることが他の本で否定されてるなんてことも珍しくありません。バランスの取れた見方を得るためには、面倒でも複数読んでおく必要があると思います。

 読むのに慣れている人なら、著者が論理的に議論しているかどうかはわかると思います。何冊か読んでみて、どれも話の展開がイマイチ合理的じゃないなー、と感じるようなら、その分野自体があまり成熟していないのかもしれません。すこし周辺まで広げてあたったほうがいいというサインだと思うようにしています。

 

データは大事

 生活に直接関わってくるような分野では、事例の紹介がされることが多いと思います。著者の実体験だったり、著者のクライアントや相談者だったり、知人の例だったり。Aさんはこういう行動のおかげでうまくいった、Bさんはこんな判断をしたせいで大失敗した、みたいなの。読む側としてもイメージを持ちやすいので、悪いことではないと思います。

 でも我々の脳はこういうエピソードに強く反応して印象付けられる傾向にあるので、注意が必要です。著者が「よくあることです」と書いてても、それが大半の人に起きるようなことなのか、「まれによくある」レベルなのかわかりません。

 なのでやはりデータは大事です。統計なり実験なりのデータが載っていない、グラフや表のない本は、著者が「なんとなくそう思った」ことしか書いてないわけです。こういうところは Amazon で本を探していてもなかなか見えてきません。図書館やリアル書店で立ち読みしながらでないと、「なか見検索」だけでは不足だと思います。なので僕はまだまだリアル書店に頼ることが多いです。

 

著者のポジションを割り引く

 本を書くくらいなんだから当然専門家なわけです。職業的な立場ってものがあります。誠実に仕事をしていればしているほど、自分自身や自分の業界は読者の役に立つと本気で考えていると思います。だからそこは割り引いて考える必要があります。本文中で「自分は〇〇という立場だから、ここは割り引いて考えてほしい」と書いてくれる著者もいますが、全員じゃない。著者のプロフィールは必ずチェックするようにしています。

 

「当たり前のことしか書いてない」本から読む

 いろいろ問題が指摘されている Amazon のレビューなんかでも、僕は結構参考にしています。レビューを書く人々のなかには、その分野に詳しいと自負している人も多くて、よく「当たり前のことしか書いてなくて物足りない」とか「この程度の内容ならネットで調べれば済む」とか書かれています。こういうレビューがつくのは、その本が基本的な内容を押さえていて、著者が突飛なことを言ってない証拠です。まあ場合によっては本当に内容がペラペラで「ネットで済む」というケースもあるかもしれませんが。でも初学者にとってはそういう「普通のこと」を知ることがまず大事なわけですから、一つの基準にはなると思います。

 逆に「斬新な切り口」とか「通説をくつがえす」とか書かれている本は、少なくとも従来的にはスタンダードな意見ではなかった主張がされているものだ、ということを念頭に置いて読むようにしたほうがいいと思います。標準的な内容と比較したかったら、それとは別の本を当たる必要があるということですから。

 

 

 特に好きでもない分野の本を何冊も読むのは、必要があるとはいえ結構大変ですよね。でも面倒がらずに比較検討するようにしたいと思います。うまくいい本に当たれば、案外面白く感じるなんてこともありますしね。運が良ければね。