20年ぶりに図書館を使ったら便利すぎてビビった

子どもが読む本をすべて買っていると大変なので、今年の夏頃から地元の公共図書館で本を借りるようになりました。公共図書館を使うのなんて20年ぶりくらいなんですが、知らない間にものすごい進化してて、自分が読むためにも積極的に使うようになりました。いやー、すごいね今の図書館は。

調べてみると僕が「スゲー!」となったポイントって、そんなに珍しくもないみたい。具体的な地域はちょっと差し控えますが、図書館っていまこんなことになってるんですね。

 

セルフ貸出機

わかりやすく「おおーっ!」ってなったのはコレ。本を置くための台と、タッチパネルとカードリーダがセットになっています。台の上に本を重ねてドサッと置いて、タッチパネルで冊数を入力すると、本についたICタグを読み取って貸出内容が表示されます。確認してカードリーダに図書館カード(これはカウンターで作ってもらう)を入れれば貸出処理をして終了。そのまま持って帰れます。

これが館内の数箇所に設置されていて、借りるのにカウンターに行かなくていいんですね。貸出カウンターで一冊ずつバーコードリーダを読み取ってもらってた時代とは隔世の感があります。

 

オンライン予約

図書館カードを作るとIDと初期パスワードが発行されるので、それで図書館のサイトにログインできます。貸出状況や返却期限が確認できるのはもちろん、予約もできます。本の検索そのものも、館内の端末でも自宅のパソコンでも同じ。むしろ調べてそのまま予約できるというアドバンテージがあることで、館内にいるときでも自分のスマホでログインして検索したりしています。

検索は別館の蔵書などもまとめて出きて、どの館にあるのか、書架にあるのか貸出中なのか、などもわかります。他館にあればとりよせてもらえます。だから今いる館の書架になければすぐ予約。すると予約の順位も確認できるので、近いうちに借りられそうか、時間がかかりそうか、というのもわかります。

予約した本の用意ができたらメールで通知してもらえます。1週間くらい取り置きしてくれるので、その間にとりに行けばいいわけです。僕が使っているところは夜8時まで開いていて、駅からも数分で行けるので、仕事帰りに立ち寄って借りていけます。

で、予約した本というのもカウンターに取りに行くんじゃありません。取り置き専用のコーナーがあって、自分でもっていくんです。専用のカードリーダに図書館カードを入れると、取り置きしてある書架と棚の番号が書かれたレシートが出力されるので、それを持って取り置き用の書架で探し、自分で取り出してセルフ貸出機で借りていくわけです。すごくないですか?いやすごいんですよ!

 

居心地がいい

これはどこでも、というわけじゃないでしょうけど、やっぱり建物や内装がきれいで魅力的だと行きたくなりますよね。僕が使っているところは比較的新しくてきれいです。明るくて、空調も効いてて、静かで。子どもの本がある場所では靴を脱いでゴロゴロできるエリアもあって。ペットボトルなら飲み物を飲んでもいいし(ただし机に置いちゃダメ)、Wi-Fiも電源も使えるし。カフェ行く必要なくない?まあ、騒がしいほうが捗るって人はカフェのほうがいいかもね。

なのにね、そんなに混んでないんですよ!これ奇跡じゃない?どうなってんの?まあ日曜だとさすがに閲覧用の席はそれなりに埋まりますけど、座れなくて困ったことは今のところないです。

 

 

最近は、読みたい本があったら「買って所有したいか、読めればとりあえず済むか」を考えて、なるべく図書館で借りるようにしています。借りて読んだ本の定価を合計したら、結構な金額になってると思います。特に子どもの絵本はすでに20〜30冊は借りているので、大きいですよー。読んだ上で「持っておきたい」となったら買えばいいし。

というわけで、みんなもっと使えばいいのにね。って去年の自分に言いたいです。見聞きしていた部分もありますが、実際使ってみるとスゴイ便利です。みなさんも是非。

ダイエットにおける運動と、節約におけるポイント還元

ダイエットの王道は食事のコントロールですが、「ダイエットする」というとなんとなく運動するイメージありますよね?特定健康食品とかのCMでも、たいていジムとかで運動している様子が描かれたりして。でも体重なり体脂肪なりをコントロールしようとするなら、やはり食事のコントロール、つまり摂取カロリーのコントロールのほうが効き目は大きいです。

僕も今ダイエット中で、あと4〜5kgくらい落としたいと思っています。しばらく前にもダイエットしたことがあって、まあまあ目標に近づくこともできたんですが、その後諸々の事情によりうまく継続できず、ちと戻してしまいました。それで再開したんです。

 

で、運動でカロリーを効率よく消費しようということで、手軽さの面からもランニングをするようにしています。といっても毎日ではなくて、週に2〜3回くらい、時間にして30分くらいです。5kmほど走るんですが、僕の体重だとこれで消費できるカロリーはざっくり300kcal。これがどれくらいのカロリーかというと、カップヌードルが353kcal、スタバのキャラメルマキアートのグランデが277kcalという感じです。

例えば僕の場合、1日に摂取するカロリーをできれば1500kcal前後に抑えていきたいんですが、2,000kcalくらい食べちゃうと、運動で500kcal消費しないといけないわけです。ランニングなら50分しなくちゃならない。これは毎日となると非常にキツイです。だから「運動するから食べても大丈夫」というわけにはいかないんですね。むしろ「せっかくの運動を無駄にしないように食事に気をつけよう」となるわけです。「今それ食べたら、今朝の運動は無かったことになるぞ」と思うようになる。

運動そのものも楽しいので単なる手段にとどまらないのですが、ダイエットという面に限っていえば、運動の効用って直接的なカロリー消費よりもむしろこういう点にあるように感じています。運動自体の貢献度はそれほど高くないけど、それによって食事に対する意識が高まるっていう。

 

同じようなことをですね、最近、節約についても感じているんです。急に違う話なんですがまあ聞いてください。

ちょっとしたきっかけで、自分が普段使っているお金のことを意識し始めたんです。そうすると、いろいろな「お得情報」が目につくようになるじゃないですか。特に僕が注意を惹かれたのが、様々なポイントプログラムなんです。クレジットカードにもポイントがつくし、Suicaで自販機でジュース買ってもJREポイントがつくし、スーパーで買い物するときとか、いろいろな会員カードやらアプリやらで「お得」になるってのが世の中には溢れかえってますよね。あまり深入りすると生活がややこしくなりすぎる恐れがありますが、まあどうせ普段使ってる店だったりサービスだったりするなら利用して損はないよね、っていう。

だけど、節約についても効果が高い王道は「固定費の見直し」ってことになってるわけです。家賃とか、保険とかね。ポイントサービスなんて、例えば還元率が1%なら100円分ためるには10,000円分つかわないといけないでしょ?だから実際には「使えば使うほどオトク」ってことは別になくて、「使えば使うほど使ってしまう」のハズです。

でもだからってポイントプログラムの利用が無駄かっていうとそうでもないと思うんです。まあモノによっては手間の割に還元率が低すぎてダメなのもあるんですが、特に手間をかけずにおおよそ1%程度還元が得られるなら考えてもいい、くらいに思っています。1年間で100万円に使うとすると1万円分になりますからね。大きくはないけど小さくもない。

でもポイントを使ってるから節約はそれでOKとはいきません。無駄遣いしないとか固定費の見直しのほうが大事。で、ここで「せっかくポイントをチマチマためてるのに、ここで無駄遣いしたらパア」「固定費を見直さずにポイントに血道を上げるのは本末転倒」みたいな意識が働いてきます。

 

ほら、似てるでしょ?

 

ここからなにか一般化できそうな気がしてきたんです。自分なりに言えば、「長期的な課題に対して、それ自体の貢献度は低いが、それを取り入れることによって課題に対する意識が高まるような要素」。

もしかしたら、こういうのって何か名前がついてるのかもしれませんね。たぶん誰かが何か言ってるだろうとは思うものの、どう調べればいいのか検討もつきませんが…。ともあれ、ちょっと今後何かに取り組むときには、こういう要素を取り入れられないか、みたいなことを少し考えてみてもいいのかな、と思ったのでした。

ウチも小学校受験したよ

この増田さん、気の毒です…。

anond.hatelabo.jp

 

あまり調べずに通わせることにしてしまったのが原因ではあるのでしょうけれど、実際こういう幼稚園というのもあるらしいですし、つらいですね。小学校受験がどういう結果になるのであれ、春からは楽しい小学校生活が送れるよう祈っています。

 

実は我が家も小学校は私立に通わせています。って、増田のブクマ見るともうこれだけで叩かれそう。偏見としか言いようのないブコメが人気になってたり…。でもウチは別におセレブな学校ではなくて、倍率も低め、学費負担だって幼稚園に通わせていたのとあまり変わらないです。受験のときは幼児教室にも通いましたから、その時期に比べればむしろ負担は軽くなっています。

文科省学校基本調査によると、私立小学校に通う子どもは全国ではおおよそ1%ですが、東京都では4%強という割合です。25人に1人ですから、そんなに珍しくはない。実際、駅や電車で制服を着た小学生というのは結構見かけるはずです。

私立小学校に価値を感じない人が多いのもわかります。僕もそうでしたから。でも選択肢があるなら、見てから決めてもいいだろうと思って、いくつかの小学校の説明会や見学会に行ってみました。するとやっぱり、あーこういう学校に通わせたいなー、と思うようになるものです。私立小学校というのは一般に思われているより千差万別で、それぞれ特色なりカラーがあります。いいなあと思う学校がある一方で、どんなに人気の学校でもこんな所には絶対行かせたくない、と思うような学校もあります。価値観がハッキリ出るんですね。大学の付属でエスカレータ式ってのもあれば、小学校だけというところもあります。もちろん教育にプラスアルファを求めるわけですから、そのぶん費用は必要になりますが、だからといって金持ちばかりとか、選民意識が植え付けられるような学校ばかりというわけではありません。

まぁ、もちろん良かれと思ってしたことが本人のためになるかどうかなんて、ずっと後にならないとわからないのかもしれません。でも今してやれると思うことがあれば、してやりたいと思うのが親心というものじゃないでしょうか。

 

受験は、大変でした。でも冒頭の増田さんみたいに幼稚園が地獄とかそういうのではなく、単に幼い子どもに勉強させたりそのための時間をやりくりしたり費用がかさんだりしたというだけです。「洗脳」とかそういうのは、幼児教室を選ぶときには感じました。やたらと親(特に母親)を追い込んでくる教室というのは結構あるようで、廊下で泣いているお母さんというのも珍しくない風景です。ウチはそういうの耐えられないので、もっとドライで気楽な教室にしましたが。

ただねえ、やっぱり不合格はキツかったです。親のダメージすごいです。自分が受験して落ちるよりずっとツラいものがあります。受験の時点で小学校が期待するような状態にその子があるかどうかなんて、その子の潜在的な能力のごくごく一部でしかないとは思いますが、頭でわかっていてもね…。幸い、いくつか合格を頂いたので、いまは無事に通わせています。

幼稚園についても、受験のための幼稚園というのもありますよね。それにしても増田の園は極端な感じがしますが…。ウチの子どもが通った幼稚園は、受験する子も半分くらいはいたのかな?受験せず公立という家庭も多いので、考え方はそれぞれだよね、という空気で気楽でした。でも増田と同じように、幼稚園に入るときにも受験はありました。我が家は内容が気に入って選んだわけですが、それなりに人気が出てくればどうしても定員より希望者が多くなるじゃないですか。そうすると、抽選なり選考なりをせざるを得ませんよね。当時は願書のために朝早くから並んだりもして「なんだかなあ」とは思いましたが、ある程度は致し方ない面もあると思います。でもおかげさまで、幼稚園生活はとても充実したものになったと思っています。

 

都内の私立小学校は11月上旬に受験が集中しているので、いままさに佳境かと思います。大変だと思いますが、どんな結果であれ子どもはどんどん育っていきますから、受験が終わったら、残り少ない幼児期を楽しく過ごしてくださいね。ご健闘をお祈りしています。

かつて、「1」は数ではなかった

 シモン・ステヴィンがその著書『算術』に「1は数である」と大きく書いたことについて、『小数と対数の発見』で山本義隆はこう書いています。

現代の私たちにはあまりにも当たり前のことを言っているように思われるが、この時代、「1が数である」という見解の表明は、数の理解としては、あえて強調しなければならないほどに革新的な、いや革命的なことであった。(p.79)

小数と対数の発見

小数と対数の発見

 

  どうも西洋では、プラトン以来「数というのは集まったもののこと」で、その単位である1は、それ自体としては数ではない、という理解が続いていたようなんですね。本書でも紹介されていますが、古代以来いろんな人が「1は数じゃないぞ、間違えるなよ」みたいに念押ししてます。そこへステヴィンが「いや1も数でしょ」と言い出したわけです。なんか現代だったら Togetter にでも論争がまとめられそうな雰囲気です。

 

 この本は、10進小数と対数の発見をたどるものです。まだ前半しか読んでいませんが、大変に興味深いです。我々はあまりにも10進数に親しんでいるので、ヨーロッパで長いこと60進小数やら、複雑な度量衡やらが使われていたこと、それらの計算が非常にやっかいだったにもかかわらず、10進に移行するのにとても長い時間が必要だったことなどに驚かされます(1ポンド=16オンス=7000グレーン、なんて現代でも使われてます)。また、哲学的な数についての思考は離散的なものに偏りがちで、連続的な量としての数についての算術は実際的、技術的な背景のなかで発展してきたというのも面白いです。

 

 山本義隆の本は、例の三部作が非常に面白かったです。

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

 
一六世紀文化革命 1

一六世紀文化革命 1

 

 『小数と対数の発見』は、「『世界の見方の転換』執筆の過程で放棄した陶磁の数学の変化」について、日本数学協会の『数学文化』に連載した内容をまとめたものだそうです。ですから、これらの本が面白かったという人には、あの知的興奮の続きを味わえるのではないかと思います。

 

 ところで、「あとがき」のなかで2017年に著者が「ベトナム反戦闘争とその時代」展のためにベトナムに行ったことを「実に私にとってはじめての海外旅行で」と書いていたのに衝撃を覚えました。これまでの著作の、あれだけの研究を、日本から一歩も出ずにやっていたなんて!すごい、というほかに言葉がでてきません。

はてなブログに移行しました

なんかほら、はてなダイアリー終わるっていうので。なんとなく。いま移行しながら書いてます。

最後の記事、2010年なんですよねー。ほぼ8年間、ダイアリーに記事を書かなかったんですなぁ。一時期は結構書いてたのにね。いくつかはブクマが集まったりした記事もありましたね。自分の記事についたブクマは読まないことにしてるんですけど。ブクマの方は細々と続けてて、自分は好き勝手コメントしてますけどね。
また何か書こうかなー、という気分にならないでもないんですが、あんまり世の中のことを心配したり怒ったりしてるのも疲れるしなー、っていうのもあり。まあ8年ぶん歳とった、ってことでもあります。で、この間、個人的にもいろいろな変化はあったわけです。たとえば、

 

ハゲた
着実に薄くなりました。あまりうれしくはありませんが、まあもうしょうがないよね。不思議なもので、あんまり抵抗しなかったかなぁ。ときおり自分に「お前、そんなとこでカッコつけてもハゲてるんだぜ。思い出せよ」と言うことがあります。悲しいといえば悲しい。でもしょうがないです。こういう「しょうがなさ」に慣れてくる、というのも歳をとったってことだと思います。

太った
油断すると脂肪が増えるようになりました。それだけ代謝が落ちてるんでしょう。しかしこちらはかなり抵抗があって、というのも自分は若いときからずっと痩せていて、その「痩せている自分」というのはアイデンティティの一部になってるんですよね。だからダイエットしてます。ちゃんとやればちゃんとコントロールできるし、手段として運動もしていて、それは健康にもいいので続けてます。

老眼
もう年寄りの辛い話ばっかり続くな。でも聞いてくださいよ(聞かなくてもいいけど)。これもですね、僕はずっと裸眼erで、いまだって視力はいいんです。こないだ受けた人間ドック(!)でも両方1.5だったんだからね!ちょっと「当てに行った」感がなくもないけどね!でももう近くが見えないんよねー。あーあ、メガネつくらなきゃなー。

そのほか辛いこと
生きていればそれだけ悲しいこともあります。

子ども
ダイアリーを書いていなかった間に子どもが生まれて、育ってます。僕にとっては人生で一番インパクトの大きな出来事でした。

 

…とかとか。

仕事は変わっていませんが、少しずつ立場が変わってきました。ありがたいことに収入も安定しています。僕は相変わらずリベラルな政策を支持しています。でも、たとえば以前は再分配を強化するような政策が実現すると自分にとってたぶん得になったでしょうが、今はおそらく逆です。そんなわけで、自分個人の生活のためには、いろいろな制度を利用していますが、必ずしも公平と思えるようなものばかりではありません。でもねー、だからって使わないでいられるほど強くもないんだよねー。

 

ああ、インポートが終わってた。やっぱり怒ってる記事多いな―。これの続きやるの嫌だなー。どうしよう。まあ後で考えるか。

とりあえず、移行しました。作業はとってもカンタンでしたよ!

選択的夫婦別姓に反対する人の気持ちを想像する


もちろん勝手な想像にすぎないことは承知していますが。
Togetter - 「夫婦別姓に関するynabe39とその他のユーザーのツイート」
こういうのを読むと、なんとなく反対派の定型的な反応から、「考え」じゃなくて「気持ち」が想像できるような気がしてきたので。


たとえば「別姓のメリットって何?」としつこく聞く人が結構いるのですが、すでに相当いろいろな形で説明されていて、知ろうとすればすぐわかるのです。べつに知りたいと思っていなくて、納得していないことを表示するだけの質問なのだと思います。あるいは「それは知っているが、納得できない」と続く場合もありますが、メリットがあることは知っているのに「何?」と何度もくりかえすのは、やはりメリット自体には別に興味がないんだろうと思うのです。


あるいは、「選択」と「強要」の混同。これはよく転倒した議論が見られるところです。反対派によくあるのは「賛成派は選択の自由を強制しようとしている」という主張。賛成派からは死ぬほど奇妙に見えますが、たぶん本気です。姓について「自由のある社会」と「自由のない社会」のうち、賛成派は「自由のある社会」を求めています。しかし反対派は「自由のない社会」を求めているわけです。「自由のある社会」が嫌なのです。反対派からすれば、自分は自由のない社会に住みたいのに、賛成派はそれを許さない、それは強制だ、ということになる。


自由のない社会を変えないでほしい、というのはどういうことでしょうか。僕は特に婚姻制度、いや「結婚」といったほうが適切でしょうか、結婚というものに対する感情というか気持ちが、この話が捻れやすいポイントのような気がしています。多くの人が、それぞれ内容は違うでしょうが、結婚というものについてイメージをもっています。ファンタジーといってもいい。それは例えば「部屋とYシャツと私」的世界だったりするかもしれません。で、そのなかには、「夫の名前に変わることを喜ぶ新妻」なんかもあったりする。こういうシチュエーションに象徴されるような、結婚に対する人々の考え、親戚や周囲の人との関係、それを支える法的制度、(疑似)伝統文化、そういった様々なものが全体として「あるべき婚姻制度のかたち」という、一つのファンタジーを形成しているのだと思います。そのファンタジーを壊してほしくないのではないでしょうか。みんなが、これまでと同じように、同じファンタジーを共有していてほしい。そしてもしそういったファンタジーの共有がなければ、社会的紐帯の全体が損なわれる、と恐れているのではないでしょうか。


もしそうだとすれば、やはり「社会にいろいろな違った人たちが共存していても、何も怖がることはないよ」ということを納得してもらうしかないのではないか、という気がしてきています。まあ、そうまでして「感情的」にも納得してもらう必要がどれだけあるか、というのは一方であるのですが。

砲撃に子どもは関係ないだろ子どもは!


これは、日本も批准している国際人権A規約の第十三条3項です(強調は引用者)。

この規約の締約国は、父母及び場合により法定保護者が、公の機関によって設置される学校以外の学校であって国によって定められ又は承認される最低限度の教育上の基準に適合するものを児童のために選択する自由並びに自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。


子どもとその保護者は、学校を選択する自由があり、私達の社会は、それを認めています。それなのに、朝鮮学校だけが無償化の対象とすべきか否かについて議論されてきました。きちんと認可を受けた学校として多年にわたって活動し、多くの大学もその卒業生を受け入れていることを考えれば、その他の各種学校やインターナショナルスクールと異なる扱いをするべき合理的な理由は何一つありません。まったく「法の下の平等」に反するものです。*1


こうしてただでさえ政府が大っぴらに差別的な政策を議論していた上に、今回の砲撃で、我が政府はさらに頭脳が混濁してきたようです。

 会見で高木文科相は、教育不問の適用判断について「教育的見地から、外交上の判断はしないと述べてきたが、しかし、そのうえでも考えなければならないかもしれない」と述べ、韓国砲撃を理由に見直す可能性に言及。
 無償化中止について明言はしなかったが、「重大な決断」について「いろんな意味を含んでいる」と述べ、選択肢に含まれていることを示唆した。


おまえら、頭おかしいんじゃねえの?


もうね、何と言っていいかわからんよ僕は。砲撃と何の関係があるんだよ、その子どもたちに?日本で生まれて日本で暮らしている子たちだよ。一緒に生きてきた子たちだよ。そしておそらく、これから大人になってもその多くが日本で暮らしていくだろう子たちだよ。その子どもたちに、一体何の咎があるっていうんだよ?イカレた北朝鮮の政権を彼らが選んだとでも言うわけ?その子たちから教育を奪い、日本政府が彼らを抑圧するという経験を強烈に植えつけて、政府は何を得ようとしているんだ?明日の支持率か?そんなことして上がると思ってるのか?俺たち国民はそんな差別主義者ばかりだとでも思ってるのか?馬鹿にすんのもいい加減にしろ!


朝鮮学校の生徒たちは、他の学校に通う日本やその他の国の子たちと同様、いやそれ以上に、今回の事態の推移を不安な気持で見つめていることだろうと思う。そんな子たちに、励ましや慰めの言葉をかけるどころか、さらなる抑圧とは!

こんな差別国家に暮らすのが、僕は恥ずかしいよ。