投資デビューにあたって読んだ本

 ブクマでこんなことを書きました。

「銀行で投信買った人の末路」 金融庁の集計結果がおもしろい! - Not-So-News

投信の本を数冊読んだけど「銀行で投信買うな」「窓口で相談するな」は読んだ本全部に書いてあった。銀行への信頼をいいことに、本も読まない人たちをカモにしてる。

2018/11/09 08:05

 手元にある本を見返したら「読んだ本全部」ではなかったです。言い過ぎました。すみません。でも複数の本に書かれていたのは本当で、「銀行の窓口で相談すると、言葉巧みに銀行が売りたい商品を推してくる。そして彼らが売りたい商品とは、手数料が高くて銀行が儲かる商品である」というのは、なかば常識となっているようなんですね。だから実践を指南するくだりでは、たいていネット証券会社を勧めています。

 もちろんそのぶん自分でしっかり判断しなければならないわけですが、これもフツーの人向けとしては基本的にはインデックス・ファンドが推奨されているので、別に選ぶのに困るということはありません。理屈を飲み込んで納得がいけば、そんなに選択肢が多いわけではないし、実質的な違いはまさに手数料とかだったりするので。

 インデックス・ファンドがどんなものかっていう説明は僕のような素人が不正確なことを書くのもアレなので他で読んでください。自分としてはこれに投資するのは「個々の銘柄の命運はともかく、また短期的な景気の変動はともかく、市場全体は長期的には成長する」ことに確信が持てていれば、十分投資する気になれると思います。あと「資本主義はまだ当分滅びない」という確信も必要か(笑)。

 

 投資を始めたのはつい最近です。「考えてみようか」と思い立ってから実際に購入するまで2ヶ月くらいでしょうか。給料天引きで積み立てていたお金が少しまとまってきたこと、でもこのペースでは老後資金にやや不安があること、が理由です。それに自分の場合は年金だけでは結構厳しそうというのもあります。

 ラッキーなことに、実際に投資信託を購入したのは10月の半ばで、ちょうど株価が大幅に下落したところだったんですね。なので買ってからは回復しはじめて、すぐにプラスになっています。こんな短期間で一喜一憂する意味はないと頭ではわかっていますが、初心者としてはいいタイミングで始められたと思います。これが半月早かったらデビュー早々に大幅な下げ相場を経験することになってましたからね。

 準備期間には、積立を崩す手続きをしたり、証券会社に口座を作ったり、本を読んでちょっと勉強したりしてました。6〜7冊くらいかな?特に納得して「やってみよう」という気になった本は2冊。

 

お金が勝手に貯まってしまう 最高の家計

お金が勝手に貯まってしまう 最高の家計

 

 なんというタイトルでしょう(笑)。でも非常にわかりやすいし煽りも少ない良書だったと思います。節約より投資のほうが効果が大きい、保険はみんな払いすぎ、インデックス・ファンド買って寝かしとけ、というのが大筋です。

お金は寝かせて増やしなさい

お金は寝かせて増やしなさい

 

  梅屋敷商店街のランダム・ウォーカーというブログを書いている方の本で、こちらも実際的でわかりやすかったと思います。特に「売らずにガマンするテクニック」というのが紹介されていて、その内容もさることながら、わざわざそこに紙幅を割いているところに「売らずにガマンする」ことが実践する上でのキモでありかつ難しいポイントなんだということがよくわかります。

  

 で、インデックス・ファンドがいいっていう話の古典的名著ということになってるらしいのがこちら。 

 これは大変勉強になりました。初版が1973年ですから、どれだけ信頼されている本かよくわかりますね。

 

 一応、まだこの後も積立貯金から段階的に移行(もちろん運用する分だけです)をしたり、iDeCo なんかも手続きが済んだばかりだったりなので、しばらくは緊張しながら自分のお金をいじることになりそうです。うまくいけばいいと思っていますが、最終的にうまくいったかどうかはだいぶ先にならないとわからないので、まぁ気長にやっていこうと思っています。

Mac で Atom で Proxy 設定でハマった

MacAtom を使ってみようと思ってインストールしたんですけどね、パッケージもいろいろ入れてやらないといけないじゃないですか。ネットワーク越しに。それで Proxy の設定が必要になったんですが、これに一苦労しました。でも Proxy の設定なんてさー、OS のネットワーク設定でもやってあるんだからソレ使ってよー、て感じですがしょうがない。

macOS は 10.14、Atom は 1.32.1 です。
とりあえずググったとおりにやってみます。ターミナルでこんなの。

$ apm config set https-proxy http://[user]:[password]@[host]:[port]
$ apm config set http-proxy http://[user]:[password]@[host]:[port]

 設定ファイルにも反映されているのを確認しましたが、GUI の設定画面でパッケージを検索しようとするとエラーです。

tunneling socket could not be established, cause=connect EHOSTUNREACH ...

あれこれやってもダメで嫌になってきたところで「GUI のバグかも」というのをどこかで見かけたので(どこか忘れました)、パッケージのインストールをターミナルでやってみることにしました。あらそんなこともできるのね。

$ apm install emacs-plus

あっさり通りました。
なんだよもー。

 

しっかし、使える状態にするために悪戦苦闘するのってイヤですよねー。もうやりたくない。年取るとますますそういうのが億劫になってきた気がします。

ちなみに Atom はしばらく前にも Windows で使ってみて、起動が遅すぎるのでやめたのですが、最近 Mac でエディタが必要になったので改めてチャレンジです。自分が使う範囲で Emacs キーバインドがちゃんと使えて、shell が使えて、シンタックス・ハイライトなんかがソコソコ綺麗で、みたいなことを考えるとまあいいんじゃないかなと。Emacs そのものは、もう .emacs をいじる気もしないしツライです。キーバインドだけが離れられない。でも Mac だとメタキーに使う左の Option キーが端っこすぎて、左手の親指で押しづらいんだよなー。ブツブツ…。
まぁとりあえず必要なパッケージをいれて、まずまず快適に使える状態にはなりました。よしよし。

食べものの好ききらいは「悪」じゃない

僕も好き嫌いの多い子どもだったので、給食はつらかった思い出があります。

togetter.com  

特に低学年の頃は、食が細くて量がまず食べられない。そのうえ苦手なものが多いので、いつも給食を食べ終わるのが最後になっていました。掃除の時間になって、机を前や後ろに寄せられて、みんなが掃除をしているなか、寄せられた机の隙間の狭い場所に追い込まれて、苦手なうえに冷めた給食を前に何もできずにフリーズしていた子ども、それ僕です。

それでもパンが食べ切れなくて給食袋に入れて持ち帰らされるんだけど、家族に「また残したの?」と言われるのが嫌で(強く咎められたわけじゃないけど)、家の前の目立たない隙間にこっそり捨ててたこともありました。

わーつらい。もう書いてて泣きそうです。

 

大人になってから「給食を出すレストラン」みたいな店の話題になると皆が「なつかしー」「行きたーい」「給食大好きだった」と言ってて、すごい断絶を感じたことがあります。「学校では給食の時間が最大の苦痛だった」と言うと驚かれたりして。

 

どうも苦手で食べられないということが、食べられる人にとってはうまく理解しづらいみたいですよね。つらさが伝わらないから、わがままみたいに言われる。でも、こっちだって好き嫌いが多いのは自分で選んだことじゃないんですよ。あなたが何でもおいしいと感じるのは道徳的な判断の結果ですか?いや、もちろん頑張って食べ物の苦手を克服したこともあるでしょうけど、それは僕にだってあります。そうじゃなくて元々どうだったかっていうところでさー。

そんなわけで自分に子どもができてからも、いろんなものを食べてほしいと思う一方で、無理強いはしないようにしています。食事のたびに「ちゃんと全部食べなさい」と咎められるのがいかにつらいかわかるから。ただ食べ物を粗末にしないことだけ気をつけています。

 

松田道雄の『育児の百科』という本があります。1967年に最初の版が出た育児本ですが、僕が持っているのは岩波文庫版。新しい育児本ももちろん参考にしましたが、この本にも大いにお世話になりました。実際的な知識以上に、考え方がとても参考になるんですよね。で、偏食についても触れられていて、ちょっと長いですが引用します。

ねぎ、きゅうり、なすなどがきらいでも、みかんやりんごやいちごなどを食べていれば、ビタミンCやビタミンB1は、けっこう必要な量だけとれる。鶏肉がきらいでも、魚を食べていれば動物性タンパク質には不足はない。

食べ物の好ききらいを道徳的な悪としておしえたのは、戦前の軍隊教育である。兵営では、カロリーだけを計算して、味のほうを無視した食べ物を食べさせるのだから、兵隊が全部食べないとこまる。きらいだからといってのこされるとカロリーが不足する。女の子でも好ききらいがあると、嫁にいってからこまった。修身の教科書も婦人雑誌も、子どもの栄養といえば「偏食の矯正」をとりあげた。そのために、いまだに「偏食の矯正」を教育であるかのように思う偏見がのこっている。

偏食をなおすことが教師の義務であると思っている人がいると、子どもは迷惑する。にんじんがきらいとか、ピーマンが食べられないというのは、その人間の生理とむすびついた「好み」である。他人の迷惑にならないかぎり自分の「好み」をまもるのは、プライバシーの権利だ。きらいなにんじんが食べられないでこまっている子どもがそれを食べるまで席を立たせなかったり、ひとりでもおかずをのこしている子のいるあいだ、ほかの子どもに席を立たせないのは、プライバシーの無視を教育していることだ。日本中の古い世代の頭から、偏食は悪であるというかんがえをたたきださないといけない。にんじんやなすをいやがって食べないことが、子どものからだの成長をさまたげると思うのは、栄養学を知らないためだ。

(中略)

自分の好みにあったものだけを、自分の生活にとりいれて楽しく生きるのは、人間ののぞましい生きかただ。にんじんのきらいな子に、にんじんをいろいろに工夫して食べさせるのもいい。しかし、子どもがいやいや食べているのなら、子どもの好きなみかんを与えることで、食事を楽しいものにしていくほうが、母親と子どもとの不要なまさつを少なくする。

子どもの生理にさからったむだな強制が、なんとしばしば「しつけ」とよばれたことか

(『育児の百科(下)』pp.152-153) 

 

このくだりを読んだとき、僕は子どもの頃の自分が救われたような気持ちになりました。そうだよ、好ききらいは「悪」じゃないよ!

残すのがもったいないなら、食べられるものを食べられる量だけとるようにすればいいじゃないですか。大人になって客として振る舞われたものが食べられなければ、率直に感謝を伝えて謝ればいいじゃないですか。

すでに半世紀前にはこう書いてくれるお医者さんがいたのに、まだ無理強いされてつらい目にあっている子がたくさんいるのは悲しいことです。好ききらいのある子どもたちに言いたい。君たちは悪くないよ、と。

 

定本育児の百科 (岩波文庫)〔全3冊セット〕

定本育児の百科 (岩波文庫)〔全3冊セット〕

 

 

20年ぶりに図書館を使ったら便利すぎてビビった

子どもが読む本をすべて買っていると大変なので、今年の夏頃から地元の公共図書館で本を借りるようになりました。公共図書館を使うのなんて20年ぶりくらいなんですが、知らない間にものすごい進化してて、自分が読むためにも積極的に使うようになりました。いやー、すごいね今の図書館は。

調べてみると僕が「スゲー!」となったポイントって、そんなに珍しくもないみたい。具体的な地域はちょっと差し控えますが、図書館っていまこんなことになってるんですね。

 

セルフ貸出機

わかりやすく「おおーっ!」ってなったのはコレ。本を置くための台と、タッチパネルとカードリーダがセットになっています。台の上に本を重ねてドサッと置いて、タッチパネルで冊数を入力すると、本についたICタグを読み取って貸出内容が表示されます。確認してカードリーダに図書館カード(これはカウンターで作ってもらう)を入れれば貸出処理をして終了。そのまま持って帰れます。

これが館内の数箇所に設置されていて、借りるのにカウンターに行かなくていいんですね。貸出カウンターで一冊ずつバーコードリーダを読み取ってもらってた時代とは隔世の感があります。

 

オンライン予約

図書館カードを作るとIDと初期パスワードが発行されるので、それで図書館のサイトにログインできます。貸出状況や返却期限が確認できるのはもちろん、予約もできます。本の検索そのものも、館内の端末でも自宅のパソコンでも同じ。むしろ調べてそのまま予約できるというアドバンテージがあることで、館内にいるときでも自分のスマホでログインして検索したりしています。

検索は別館の蔵書などもまとめて出きて、どの館にあるのか、書架にあるのか貸出中なのか、などもわかります。他館にあればとりよせてもらえます。だから今いる館の書架になければすぐ予約。すると予約の順位も確認できるので、近いうちに借りられそうか、時間がかかりそうか、というのもわかります。

予約した本の用意ができたらメールで通知してもらえます。1週間くらい取り置きしてくれるので、その間にとりに行けばいいわけです。僕が使っているところは夜8時まで開いていて、駅からも数分で行けるので、仕事帰りに立ち寄って借りていけます。

で、予約した本というのもカウンターに取りに行くんじゃありません。取り置き専用のコーナーがあって、自分でもっていくんです。専用のカードリーダに図書館カードを入れると、取り置きしてある書架と棚の番号が書かれたレシートが出力されるので、それを持って取り置き用の書架で探し、自分で取り出してセルフ貸出機で借りていくわけです。すごくないですか?いやすごいんですよ!

 

居心地がいい

これはどこでも、というわけじゃないでしょうけど、やっぱり建物や内装がきれいで魅力的だと行きたくなりますよね。僕が使っているところは比較的新しくてきれいです。明るくて、空調も効いてて、静かで。子どもの本がある場所では靴を脱いでゴロゴロできるエリアもあって。ペットボトルなら飲み物を飲んでもいいし(ただし机に置いちゃダメ)、Wi-Fiも電源も使えるし。カフェ行く必要なくない?まあ、騒がしいほうが捗るって人はカフェのほうがいいかもね。

なのにね、そんなに混んでないんですよ!これ奇跡じゃない?どうなってんの?まあ日曜だとさすがに閲覧用の席はそれなりに埋まりますけど、座れなくて困ったことは今のところないです。

 

 

最近は、読みたい本があったら「買って所有したいか、読めればとりあえず済むか」を考えて、なるべく図書館で借りるようにしています。借りて読んだ本の定価を合計したら、結構な金額になってると思います。特に子どもの絵本はすでに20〜30冊は借りているので、大きいですよー。読んだ上で「持っておきたい」となったら買えばいいし。

というわけで、みんなもっと使えばいいのにね。って去年の自分に言いたいです。見聞きしていた部分もありますが、実際使ってみるとスゴイ便利です。みなさんも是非。

ダイエットにおける運動と、節約におけるポイント還元

ダイエットの王道は食事のコントロールですが、「ダイエットする」というとなんとなく運動するイメージありますよね?特定健康食品とかのCMでも、たいていジムとかで運動している様子が描かれたりして。でも体重なり体脂肪なりをコントロールしようとするなら、やはり食事のコントロール、つまり摂取カロリーのコントロールのほうが効き目は大きいです。

僕も今ダイエット中で、あと4〜5kgくらい落としたいと思っています。しばらく前にもダイエットしたことがあって、まあまあ目標に近づくこともできたんですが、その後諸々の事情によりうまく継続できず、ちと戻してしまいました。それで再開したんです。

 

で、運動でカロリーを効率よく消費しようということで、手軽さの面からもランニングをするようにしています。といっても毎日ではなくて、週に2〜3回くらい、時間にして30分くらいです。5kmほど走るんですが、僕の体重だとこれで消費できるカロリーはざっくり300kcal。これがどれくらいのカロリーかというと、カップヌードルが353kcal、スタバのキャラメルマキアートのグランデが277kcalという感じです。

例えば僕の場合、1日に摂取するカロリーをできれば1500kcal前後に抑えていきたいんですが、2,000kcalくらい食べちゃうと、運動で500kcal消費しないといけないわけです。ランニングなら50分しなくちゃならない。これは毎日となると非常にキツイです。だから「運動するから食べても大丈夫」というわけにはいかないんですね。むしろ「せっかくの運動を無駄にしないように食事に気をつけよう」となるわけです。「今それ食べたら、今朝の運動は無かったことになるぞ」と思うようになる。

運動そのものも楽しいので単なる手段にとどまらないのですが、ダイエットという面に限っていえば、運動の効用って直接的なカロリー消費よりもむしろこういう点にあるように感じています。運動自体の貢献度はそれほど高くないけど、それによって食事に対する意識が高まるっていう。

 

同じようなことをですね、最近、節約についても感じているんです。急に違う話なんですがまあ聞いてください。

ちょっとしたきっかけで、自分が普段使っているお金のことを意識し始めたんです。そうすると、いろいろな「お得情報」が目につくようになるじゃないですか。特に僕が注意を惹かれたのが、様々なポイントプログラムなんです。クレジットカードにもポイントがつくし、Suicaで自販機でジュース買ってもJREポイントがつくし、スーパーで買い物するときとか、いろいろな会員カードやらアプリやらで「お得」になるってのが世の中には溢れかえってますよね。あまり深入りすると生活がややこしくなりすぎる恐れがありますが、まあどうせ普段使ってる店だったりサービスだったりするなら利用して損はないよね、っていう。

だけど、節約についても効果が高い王道は「固定費の見直し」ってことになってるわけです。家賃とか、保険とかね。ポイントサービスなんて、例えば還元率が1%なら100円分ためるには10,000円分つかわないといけないでしょ?だから実際には「使えば使うほどオトク」ってことは別になくて、「使えば使うほど使ってしまう」のハズです。

でもだからってポイントプログラムの利用が無駄かっていうとそうでもないと思うんです。まあモノによっては手間の割に還元率が低すぎてダメなのもあるんですが、特に手間をかけずにおおよそ1%程度還元が得られるなら考えてもいい、くらいに思っています。1年間で100万円に使うとすると1万円分になりますからね。大きくはないけど小さくもない。

でもポイントを使ってるから節約はそれでOKとはいきません。無駄遣いしないとか固定費の見直しのほうが大事。で、ここで「せっかくポイントをチマチマためてるのに、ここで無駄遣いしたらパア」「固定費を見直さずにポイントに血道を上げるのは本末転倒」みたいな意識が働いてきます。

 

ほら、似てるでしょ?

 

ここからなにか一般化できそうな気がしてきたんです。自分なりに言えば、「長期的な課題に対して、それ自体の貢献度は低いが、それを取り入れることによって課題に対する意識が高まるような要素」。

もしかしたら、こういうのって何か名前がついてるのかもしれませんね。たぶん誰かが何か言ってるだろうとは思うものの、どう調べればいいのか検討もつきませんが…。ともあれ、ちょっと今後何かに取り組むときには、こういう要素を取り入れられないか、みたいなことを少し考えてみてもいいのかな、と思ったのでした。

ウチも小学校受験したよ

この増田さん、気の毒です…。

anond.hatelabo.jp

 

あまり調べずに通わせることにしてしまったのが原因ではあるのでしょうけれど、実際こういう幼稚園というのもあるらしいですし、つらいですね。小学校受験がどういう結果になるのであれ、春からは楽しい小学校生活が送れるよう祈っています。

 

実は我が家も小学校は私立に通わせています。って、増田のブクマ見るともうこれだけで叩かれそう。偏見としか言いようのないブコメが人気になってたり…。でもウチは別におセレブな学校ではなくて、倍率も低め、学費負担だって幼稚園に通わせていたのとあまり変わらないです。受験のときは幼児教室にも通いましたから、その時期に比べればむしろ負担は軽くなっています。

文科省学校基本調査によると、私立小学校に通う子どもは全国ではおおよそ1%ですが、東京都では4%強という割合です。25人に1人ですから、そんなに珍しくはない。実際、駅や電車で制服を着た小学生というのは結構見かけるはずです。

私立小学校に価値を感じない人が多いのもわかります。僕もそうでしたから。でも選択肢があるなら、見てから決めてもいいだろうと思って、いくつかの小学校の説明会や見学会に行ってみました。するとやっぱり、あーこういう学校に通わせたいなー、と思うようになるものです。私立小学校というのは一般に思われているより千差万別で、それぞれ特色なりカラーがあります。いいなあと思う学校がある一方で、どんなに人気の学校でもこんな所には絶対行かせたくない、と思うような学校もあります。価値観がハッキリ出るんですね。大学の付属でエスカレータ式ってのもあれば、小学校だけというところもあります。もちろん教育にプラスアルファを求めるわけですから、そのぶん費用は必要になりますが、だからといって金持ちばかりとか、選民意識が植え付けられるような学校ばかりというわけではありません。

まぁ、もちろん良かれと思ってしたことが本人のためになるかどうかなんて、ずっと後にならないとわからないのかもしれません。でも今してやれると思うことがあれば、してやりたいと思うのが親心というものじゃないでしょうか。

 

受験は、大変でした。でも冒頭の増田さんみたいに幼稚園が地獄とかそういうのではなく、単に幼い子どもに勉強させたりそのための時間をやりくりしたり費用がかさんだりしたというだけです。「洗脳」とかそういうのは、幼児教室を選ぶときには感じました。やたらと親(特に母親)を追い込んでくる教室というのは結構あるようで、廊下で泣いているお母さんというのも珍しくない風景です。ウチはそういうの耐えられないので、もっとドライで気楽な教室にしましたが。

ただねえ、やっぱり不合格はキツかったです。親のダメージすごいです。自分が受験して落ちるよりずっとツラいものがあります。受験の時点で小学校が期待するような状態にその子があるかどうかなんて、その子の潜在的な能力のごくごく一部でしかないとは思いますが、頭でわかっていてもね…。幸い、いくつか合格を頂いたので、いまは無事に通わせています。

幼稚園についても、受験のための幼稚園というのもありますよね。それにしても増田の園は極端な感じがしますが…。ウチの子どもが通った幼稚園は、受験する子も半分くらいはいたのかな?受験せず公立という家庭も多いので、考え方はそれぞれだよね、という空気で気楽でした。でも増田と同じように、幼稚園に入るときにも受験はありました。我が家は内容が気に入って選んだわけですが、それなりに人気が出てくればどうしても定員より希望者が多くなるじゃないですか。そうすると、抽選なり選考なりをせざるを得ませんよね。当時は願書のために朝早くから並んだりもして「なんだかなあ」とは思いましたが、ある程度は致し方ない面もあると思います。でもおかげさまで、幼稚園生活はとても充実したものになったと思っています。

 

都内の私立小学校は11月上旬に受験が集中しているので、いままさに佳境かと思います。大変だと思いますが、どんな結果であれ子どもはどんどん育っていきますから、受験が終わったら、残り少ない幼児期を楽しく過ごしてくださいね。ご健闘をお祈りしています。

かつて、「1」は数ではなかった

 シモン・ステヴィンがその著書『算術』に「1は数である」と大きく書いたことについて、『小数と対数の発見』で山本義隆はこう書いています。

現代の私たちにはあまりにも当たり前のことを言っているように思われるが、この時代、「1が数である」という見解の表明は、数の理解としては、あえて強調しなければならないほどに革新的な、いや革命的なことであった。(p.79)

小数と対数の発見

小数と対数の発見

 

  どうも西洋では、プラトン以来「数というのは集まったもののこと」で、その単位である1は、それ自体としては数ではない、という理解が続いていたようなんですね。本書でも紹介されていますが、古代以来いろんな人が「1は数じゃないぞ、間違えるなよ」みたいに念押ししてます。そこへステヴィンが「いや1も数でしょ」と言い出したわけです。なんか現代だったら Togetter にでも論争がまとめられそうな雰囲気です。

 

 この本は、10進小数と対数の発見をたどるものです。まだ前半しか読んでいませんが、大変に興味深いです。我々はあまりにも10進数に親しんでいるので、ヨーロッパで長いこと60進小数やら、複雑な度量衡やらが使われていたこと、それらの計算が非常にやっかいだったにもかかわらず、10進に移行するのにとても長い時間が必要だったことなどに驚かされます(1ポンド=16オンス=7000グレーン、なんて現代でも使われてます)。また、哲学的な数についての思考は離散的なものに偏りがちで、連続的な量としての数についての算術は実際的、技術的な背景のなかで発展してきたというのも面白いです。

 

 山本義隆の本は、例の三部作が非常に面白かったです。

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

 
一六世紀文化革命 1

一六世紀文化革命 1

 

 『小数と対数の発見』は、「『世界の見方の転換』執筆の過程で放棄した陶磁の数学の変化」について、日本数学協会の『数学文化』に連載した内容をまとめたものだそうです。ですから、これらの本が面白かったという人には、あの知的興奮の続きを味わえるのではないかと思います。

 

 ところで、「あとがき」のなかで2017年に著者が「ベトナム反戦闘争とその時代」展のためにベトナムに行ったことを「実に私にとってはじめての海外旅行で」と書いていたのに衝撃を覚えました。これまでの著作の、あれだけの研究を、日本から一歩も出ずにやっていたなんて!すごい、というほかに言葉がでてきません。