いじめ自殺予告の報道を眺めて


冷血漢とかひどいとか言われるかもしれないが、正直あまり関心がありません。だから前向きな意見も何もないけれども、感想はある。以下その無責任で雑多な感想。


報道を眺めながら、

いじめ自殺を予告した手紙が文部科学省に届いた問題で、投函(とうかん)先の可能性を指摘された豊島区内の小中学校では七日、該当するいじめがないかなどの確認に追われた。

警視庁は7日、この手紙が東京・豊島区内から投函(とうかん)された可能性が高いとの情報を受け、地元の学校と連携して情報収集にあたるよう都内の全署に通達した。

文部科学省は9日、伊吹文科相あてに、高校2年生の女子生徒を名乗る人物から、いじめを受けており自殺すると訴える手紙が同日午前に届いたと発表した。

 手紙はA4判のリポート用紙2枚。8日付の「渋谷」の消印がある茶封筒に入っていた。

まるで容疑者の公開捜査だな、と思った。


予告した少年のことを世間は見捨てないかもしれない。もちろん僕も見捨てないほうがいいと思う。だけど僕達の世間は、毎日たくさんの自殺を、理不尽な死を、見捨てている。すべての自殺に、すべての理不尽な死に、皆がこれだけ振り回されるようになったら、世界はマシになるんだろうか。


まるで劇場そのもの。土曜日のニュースが気になってワクワクしてる人だって多いんじゃないのか?


もしその少年が本当に自殺したら何が起こるだろう。自殺があればそれはニュースになるだろう。誰かが責任を追求されるんだろう。文科省や学校が会見を開き、テレビは近所の人や同じ学校の生徒にマイクを向け、世間はその話題でもちきりになるだろう。週刊誌が少年の実名を報道するかもしれない。担任の先生や、両親は確実に責められる。いじめた「クラスのみんな」も指弾されるだろう。関係者の過去が暴かれ、個人情報がネットに晒され、イナゴたちがたかるのが目に見えるようだ。そうして少年を見捨てまいとした世間は、それらの人々を、責めて責めて責めぬくだろう。自殺者だって出ないとも限らない。かくて復讐は果たされるかもしれない。


別の少年が自殺するかもしれない。それでも別人だと確定するまでの間、同じことが起きるだろう。


少年が自殺を思い留まったら。安堵の声が聞こえるのもつかの間、狂言を責める人が必ず現れる。嗅ぎまわる連中もいるだろう。何かの拍子に差出人がバレるかもしれない。また「なんとか詐欺」とか言われるんだろうか。あるいは少年へのいじめは沈静化するかもしれない。きっとハレモノ扱いになるのだろうね。それが今彼が置かれてる状況よりマシかどうかは、僕にはわからない。
もし誰も自殺しなかったら、もう嗅ぎ回ったりしないでほしい。


手紙を公表する必要なんかあったんだろうか。公表したほうがその子が死なない見込みが高いと思ったんだろうか?わからない。むしろ逃げ道を塞いだんじゃないか?後になって「隠してた」と言われたら困るからじゃないのか。どうだろう。

公表した結果、自殺する前に差出人を見つけたら。自殺しに学校に来た少年を発見したら。あるいはそれでも止められなかったら。あるいは…僕には、どうなるのかわからない。


大人たちが口を揃えて「命は大切」と言い、ニュースで毎日とりあげられるのを見ても、何かが変わるとは全く思えない。そして僕には自殺を考えている人に語りかけるべき言葉もない。少年が生き延びたら、絶対にバレないようにして、自分が差出人だってことを白状しないようにしてくれればいい、と思う。