オノ・ヨーコはアーティストですから


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070510/p1経由で知った記事。

従軍慰安婦」問題について、オノ・ヨーコさんが米「ニューズウィーク」のBBS(電子掲示板)に論陣を張ったと、ネットで話題になっている。「人さらいや奴隷はフィクション。日韓条約が1965年に批准されたのに、謝罪と賠償を今頃持ち出すのはおかしい」などと書かれているとされ、ネット上には拍手喝采も起こっている。ただ、ヨーコさん本人だという証拠はまったくなく、名前を語ったニセモノだという可能性もある。

「可能性もある」だって。うわあー、バッカだなー。と最初は笑っていたんですけど、だんだん腹立ってきた。


オノ・ヨーコは(個人的な好みは別として)間違いなく、きわめてユニークな、傑出したアーティストですよ。2003年に日本でも大規模な回顧展*1が巡回したけど、素晴しい創意が漲る、しかし同時に深い優しさのこもった作品の数々に心底驚いたものです。あの展覧会まで、僕もよくわかってなかったところがありました。またジョン・レノンが言ったように彼女は「もっとも有名で、もっとも知られざるアーティストである。誰もが彼女の名前を知っているが、誰も彼女が何をしているのか知らない」という状況が長かったと思います。
今だって「ジョン・レノン奥さん反戦・平和主義者」くらいしか知らない人は多かろうと思います。もったいないなぁ、あんな面白い作品が沢山あるのに*2


オノの最も有名な作品の一つに、《カット・ピース》(1964)というパフォーマンスがあります。オノがハサミをもって舞台に上がり、観客にその鋏でオノの衣服を切取らせるというものです。いろいろな見方のできる作品ですが、そこには間違いなく性差と女性の収奪というテーマが含まれています。オノは「人々は私の中の気に入らない部分を切り取ってゆき、最後にはもう私の中の石しか残っていなかったけれども、彼らはそれでも満足せず、その石の中はどんなぐあいか知りたがった」と語っています。


なぜ件の BBS への書き込みがオノであるはずがないのか。ひとつには、もちろんこれまで平和・反戦をことあるごとに言葉でも作品でも訴えてきたオノが、従軍慰安婦についてああいう形で日本を擁護するとは到底思えない、ということがあります。また、オノは一貫して Yoko Ono という名を使っており(John とリリースしたレコードでも Ono を使っている)、Yoko Lenon という名での活動は基本的にない(絶対ないとは言いきれませんが、「あまりない」というレベルじゃないのは確か)というのもそうです。

が、僕が一番「そんなの信じちゃうなんて、オノのことを何も知らないに違いない」と確信するのは、実際に書き込まれた文章を見て思ったことです。この文章はオノを装ってすらいない。

例えばオノは1971年の「社会の女性化」で

もちろん、私たちは、男性たちが何百年もしてきたようなゲームをし、最高の職をすべて乗っ取り、最終的には全世界を征服して、もっとも憎らしい男性を種馬かつ奴隷の階級にして、私たちの下で嘆き、うめかせることもできる。こんなことは、昼下りに見る夢としてはいいかもしれないが、現実には、つまらないことでしかない。

また、この文章の最後の方では

種族の母として、私たちは、男性的な愛国主義の罪を分かち合い、私たちの顔が彼らの鏡となるのである。

と書いています(2003年の「YES オノ・ヨーコ」展の図録から)。この文章は全体に、単に男性を非難するのではなく、創造的に新しい価値を作りだすことへの提案になっています。


何が言いたいかっていうと、彼女が発言するとき、それはアーティストとして表現として発言するということです。一方、ハァ、何ですかあのネットウヨ丸出しの文章は?あれ見てオノ・ヨーコかも、と思う奴はオノのことなんか何も知らないし、オノが自分らと同様に程度の低い表現しかできない人間だと思ってるに違いないわけ。それが腹立つんですよ。何だと思ってるんだっての。

従軍慰安婦問題をどのようにオノが捉えているのであれ、それについて何か言うとしたら、必ず想像力を喚起するような方法で反応するはずです。彼女が真剣に訴えたいと考えているのであればそれだけ、よりユニークな方法で表現するでしょう。たとえばあの「WAR IS OVER! if you want it」のように。オノは本物のアーティストですから。それは、例え彼女が本当に旧日本軍を擁護したとしてもです。そんなのありえないことですが、オノが真剣にあんな貧しい文章を書くことのほうが、それ以上にありえない。

*1:主催には朝日新聞社も入ってました

*2:インストラクション・ペインティングのシリーズが、僕は特に好みです