広島平和文化センターの理事長人事のこと


地を這う難破船 - 広島平和文化センターをめぐって、電凸の報告から(急)
電凸の報告をまとめてくださっています。中韓の委員を入れて云々という話は、理事長が話しただけで資料館として決まったわけではないようですね。ああいう形での電凸というやり方は自分はあまり褒められたものではないと思っていますが(よく調べた上でなら、必要なこともあるでしょうけど)、多少は冷静な人もいるんだなと思いました。

どうもこの案は、中国新聞のインタビュー中にでた、理事長の思いつき程度らしい。
そんでもって理事長はまだ就任一ヶ月で、まだ全然ヨク判ってないみたい。
さらに運営側とのすり合わせが全然できてなくて、館の運営スタッフが相当困惑してるよう。


まあ、トップが代わったばかりで、今までとずいぶん違うことを言いだしてるという感じのようですから、現場が混乱したり戸惑ったりということは容易に想像できます。ただ、これまで市の助役をはじめ市職員がほとんどだったということですが、正直に言って、市職員がトップというのはこういう組織として最善とは言えないのではないでしょうか。もちろん僕も内部の実情は知らないので、あくまで一般論として言うのですが、平和活動家ならば理事長に相応しいように傍目には見えます。というかむしろ、明確な戦略性もなく市の職員を充てていた時とくらべれば、活動家である新理事長は普通に考えればこれまでより高いアクティビティを要求するでしょう。僕ならそう期待します。ってことは、おそらく現場は大変でしょうし、ついていけない、ということも出てくるかもしれない。


でもあくまで外野から言わせてもらえば、そういうチャレンジは歓迎すべき事なんではないでしょうか。そしてアメリカ人を任命したということも、象徴的に重要だと思います。つまり、これは和解への模索を象徴すると思うのです。加害者の側に属する人間を、被害者の側が受け入れるということです。誰かがはてブで「911の犠牲者の記念館ができたら、そこにアラブ人館長を置くようなもの」と書いてたと思うのですが(今見たら見あたらないけど)、まさにそのとおりだと思います。そして僕なら、アメリカがもしそういう事をしたら、アメリカは和解に踏みだそうとしているのだ、と捉えます。
市民の間に根付いた活動が重要だから、あくまで地元の人間がトップになるべきという考え方もわからなくはないですが、僕はこういう試みはあってもいいんじゃないかなと思いますよ。


しかし理事長人事より、こちらのほうが問題だと思います。

その都度、「広島平和記念資料館は、広島市の行政機関のひとつで、職員は一般行政職員で研究者などは一人もいない」と返事を返すと、皆驚いて「それでは、どこが原爆研究をしているのか」と聞き返されました。私は答えることができませんでした。平和記念資料館で働く事を特に希望したわけでもない市の一般行政職員によって構成されている学芸担当ができる仕事は限られています。

一般行政職が学芸を担当していて、いわゆる専門の学芸員が全然いないというのは、実に落胆させられる話です。確かに、よくあることです。現在、日本の博物館・美術館の数と学芸員として働く人の数を比べれば、平均して一館あたり学芸員は一人に満たないというのが現状です。だから研究職としての学芸員が全然いない館というのは、よくあることではあります。だからこれは平和記念資料館だけの問題ではないのですが…。資料館の研究機能は是非とも充実させてほしいものです。


中韓の委員云々については、あの記事だけではちょっと意図はわかりませんが、もし中国・韓国の人々に「原爆が戦争の早期終結に役立った」と考えている人が多いなら(日本人にだって結構いると思いますが)、彼らに対してそうではない、そのような結果だけで広島を捉えてしまってはいけない、と伝えるためには、中国・韓国の専門家としっかり話し合うべきです。そうして、どうやって理解を深めてもらえばいいかを一緒に考えなければなりません。平和記念資料館の展示に、ちょっとでも外国人が関わるのが許せない、特に中国や韓国の人が関わるのは許せない、という人がいるようですが、それは違うだろうと思います。


原爆は広島・長崎だけの問題ではなく、日本だけの問題でもなく、人類の問題なのだ、という見方を僕も持っています。ですから平和文化センターが今まで以上に国際的な活動に力を入れていくということであれば、是非歓迎したいと思います。電凸報告によると、今回の記事で抗議の電話が多数あったようですが、その「抗議」のせいで核廃絶を目指す国際的な方向性が萎縮したり、後退したりするような結果にだけはならないでほしい、と願っています。