国際貢献と上流での介入


民主党の小沢代表の会見でこういう話が出てましたね。

1、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は、国連安保理もしくは国連総会の決議によって設立あるいは認められた、国連の活動に参加することに限る。したがって、特定の国の軍事作戦については、我が国は支援活動をしない。


なぜ国際貢献というときに自衛隊をどうするという話にばかりなるのか、それが自分には大変不満です。僕は基本的に、普段から平和維持・平和構築のためにできることに全力を注ぐようなこともせずに、いざ武力行使がはじまるとなってから片棒を担ぐかどうか議論するような状況では、自衛隊の海外派遣にはまったく説得力を感じません。自衛隊を出すとか出さないとかで悩む前に、普段の行ないとして、もっとやっておかなきゃいけないことがあるでしょう、といつも思います。また、この話のように国連中心という派遣のルールを決めたところで、武力行使という状況に至る前の予防的活動に資するところがあるとは僕には思えません。


今ちょっと自分の言葉で書く余裕がないので、最上敏樹『人道的介入』から引用します。

人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)

人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)

上流で、という言葉には二通りの意味がありうる。(中略)

したがってそれは、国際政治の動向に強い影響力をもっている諸大国を促し、今度こそ公正で非暴力的な世界を建設するために努力するよう仕向ける、という意味になる。迂遠だがそれは正論である。国際的な公権力を作るということは、単に懲罰のための軍事力を編成するということではなく、むしろ、不公正や暴力を極小化する仕組みを追求するということである。迂遠だが、それをやらなければ武力介入の「根拠」だけがいつまでも残り続ける。

もうひとつは、それほどに構造的な議論をしないまでも、極度の栄養不良や早すぎる死に襲われる子供たちや大人たちを救うために、武力介入以前の介入を積極的におこなうことである。
(p.186)


今のような状況での海外派兵の制度化は、日本ができるはずのことを制限することにしかならないのではないか、というふうにしか自分には思えません。その「できるはずのこと」すら、これまで真剣にやってきたとは全く思えませんし。