自己啓発と雇用流動化


昨日に続いて自己啓発がらみの話題。もうちょっと現代的というか、今の日本社会に即した形で自己啓発と労働環境について考察してる本をやはりだいぶ前に読んだのを思いだしたのでした。

自己コントロールの檻 (講談社選書メチエ)

自己コントロールの檻 (講談社選書メチエ)

本書の後半、著者は、雇用の流動化した社会では、従業員の教育コスト削減や、新しい環境に従業員が適応するための能力として「感情の知性」(いわゆる EQ)を身につけることが要請されてくる、と論じていて興味深いです。

「感情の知性」を備えた人を産出することは、合理化としての"個々人の移動・分散"にとっても目的合理的である。なぜなら、だれかに監視・指示されなくとも、自分の感情をモニターしながら自己制御し、不適切な行為を選択することもなく、与えられた目標を達成するよう自分で自分を動機づける従業員・派遣社員が多いほど、監督者を配置するコストが削減できるのである。
また、市場の変化と多様化に合わせて、従業員が自発的に自分を教育すれば、企業の教育費もカットできる。このとき、過去の"あのとき・あそこ"で経験・学習したことがらに固執せず、"いま・ここ"の状況に適切に対応できる能力が求められている。いわば、ひんぱんに自分をリセットする能力が要求されているのである。(p.176)

「自分で自分を動機づける」というのは、たとえば「長期的なビジョンを持ち、意識的にスキルアップしよう」などといった言説として現われてくるわけです。自発的に勉強してくれれば、雇う側にとってはまことに都合がよろしい。


あるいは、能力主義という考え方や、派遣のような雇用形態に対しては、「個性尊重」や「自己実現」といった言説によって、人々から合意がとりつけられる(ヘゲモニーってやつですな)と指摘します。たとえば派遣会社の広告からは、次のような内容が読みとれるといいます。

"各人には「私にしか出来ないことがきっとある」はずなのに、これまでは「集団主義」に縛られてきたので、「個性」が尊重されず「みんな同じ」になってしまった。そんな環境では「叶えたいジブン」が達成されるはずもなく、その結果「愚痴ってばかりの同僚」しか周囲にいない。しかもそれは「仕事」の本来の姿ではない。「自分の能力」だけを頼りに「仕事」をすることが「個性尊重・自己実現」につながり、それこそ「働くこと」の本当の姿なのである"、と。(p.187)

自己啓発などで高く評価されるような価値観は、ある種の行動様式を促し、それが結果的に現代社会で起きている労働や生き方に様々な局面で対応しているわけです。このようにして、「自助」というものが現代社会においては雇用の流動化を支えたり、あるいは正当化したりする効果を持っていることもあると。


自己啓発っぽい話が人気を得るのは別にかまわないと思うのですが、そういう現象をあまり「人々の自然な感情に訴えているだけ」とだけしか見ないのはちょっと違うかな、と思うのでした。