ネットの海、誤読の海


ここのところいくつか所で交されたいくつかの話題をめぐるいくつかのやりとりを見て(抽象的でごめんなさい)、つくづく「世に誤読の種はつきまじ」と思いました。どうしたもんでしょうねぇ。


何か論争とか、ある出来事や発言に対する批判などがあると、すぐに誤読する人がわあーっと出てくる。いや、そんなに大量でもないか。でも一定の数で必ずいる。そこでバカじゃないの?などと言おうものなら、やれ「上から目線」だの「意見の違う人間はバカ扱いか」だの「言論封殺」だのと言いだす。たぶん本当にバカなんだろうと思う。まぁ俺だってバカかもしれんけど、世のなか上には上がいるってことでしょう。「意見の違い」と「誤読」の差すら区別できてないというか(もちろんその差が微妙になるケースはあるにしても)。


いやまあ、議論があったときに注目されるような記事を書く人の間には、誤読はそんなに多くないと思いますよ。基本的に。たいていは、お互いまともな読みをした上で議論してると思います。でもそうじゃない人達も少ないとは言いづらい。誤読して、誤読した上で何か批判めいたことを言ったりしてる。ありゃどうにもならんのですかね。ならんのでしょうね…。


考えてみれば母語の読み書きだからって、みんな完璧にできるわけじゃないんですよね。当たり前なんだけど、人は誰でも誤読する可能性がある。人によって頻度が違うけど。僕だって。変な言い方だけど、学校の国語の試験だって、現代文の読解とかって結構できなかったりするわけですよね。国語の試験に悪問が多いってのはあるけど、ちゃんと読めば論理的に答えが出るようなまともな問題であっても、思い返してみると出来たり出来なかったりしてたよなー。
書き手の意図を離れたところで文章が発してしまう含意を読みとる、とか、明示されていない前提を合理的に推測する、とか、そういうのが苦手な人もいるみたい。また一方で、どう読んでも「人それぞれ」とか言って「正当な読み」を認めたがらない人もいる。「人それぞれ」にも一定の限界があるはずなんだけど。


もちろん、そういう誤読しがちな人たちに「黙ってろ」と言いたいわけではないですよ(言いたくなることは確かにあるけど)。読解力がないことは別に悪いことではないので。ただなんというか、誰の書いたものでも、誰の発言でも、人目につく場所に置かれ、それが何がしかの影響力を持つ可能性がある、ていうのがネットのもたらした世界のありようではあるのでしょう。でも一方で、コミュニケーションの爆発的増大は、誤読の爆発的増大でもあったりするんではないかなぁ、ていう。やっぱ当たり前だな。まあいいや。

そして、そういう状況を、僕は「問題だ」と言いたいのではなくて(問題ないと言うつもりもないけど)、なんというか、そういう状況の中で自分は読んだり書いたりしているんだよな、それは覚えておいたほうがいいかな、と思った。ということです。僕の書くものは誤読されるし、僕自身も誤読する。なるべく避けたいけど、ある程度はそういうものだと思っといたほうがいいのかなー、と。なんか後向きですけど。疲れてるのかしら。