あなたの知らないマナー


電車の中で携帯電話でしゃべってる人にイラっとすることは僕もあるのだけど、普通に知り合い同士でしゃべってる人にもイラっとするし、無意味な車内放送にもイラっとするので、たぶん僕は電話がどうとかじゃなくて単にうるさいのが嫌なのだと思う。電車は誰も乗ってなくても騒音があるけど、人の声っていうのは頭に入ってきやすいしね。でもまあ、それぐらい別にいいか、と最近は思ってます。


ところで、JRに乗るとドアの上の画面によくマナー講座みたいなのが流れてることがあります。なんかマリオが出てくるやつ。あの画面、なるべく見ないようにしてるんだけど満員電車だと新聞も読めないし、うっかり見てしまうことがあって、その度になんか嫌な気分になる。


どういうことか。JRのアレに限らずテレビなんかでもそうだけど、いわゆる「マナー講座」的なものっていうのは、講座だからあんまり誰でも知ってるようなことはネタにならないわけです。みんなが知らないけど、実はこういうマナーがありますよ、とか、こういう時にはこうするのが本当はマナーにかなったやり方なのですよ、みたいな話ばかりなわけです。


いや、普段接触のない文化圏(外国とか)におけるマナーというのは知らなくて当然なので、そういうネタならわかるんです。けどそうじゃなくて単にマイナーな作法を「大人の常識」みたいに扱うようなのがあって、知らないと恥ずかしいだとかいうわけ。でも考えてみてほしいんですけど、そうやってクイズやら何やらのネタになるってことはさ、たいていの人は知らないわけでしょ?んで、そのマナーについて知らない人ってのは、そこで「マナー違反」があっても気にならないわけじゃないですか。つまり、ほとんど誰も気にしてない特殊マイナー作法を殊更「マナー」として「覚えなければならないこと」として扱うのって変じゃないのって思うんですよね。てか少なくとも「常識」じゃないよね。
そいで、そういうマナー講座でトリビアとして広まったりすると、それまで人々が気にとめてなかったようなことで気づかいを始めるようになるっていう。何のためのマナーなのかっていうか、マナーの自己複製力っていうか。もちろん中にはもともとそういうマイナーな作法が気になって仕方なくて、いつも不愉快な思いを強いられてる人もいるのかもしれません。でもそれ、何の軋轢もなく「嫌だ」って言うことができればいいわけで、むしろそう言えないことのほうが問題のような気がする。


まあ僕もあんまりマナーがなってない人は嫌ですけど、細かい細かい作法を皆が覚えなけりゃならない社会っていうのもうんざりします。それよか、他人の振舞いに対して気になることがあったら「あなたのその振舞いが、私にはとても気になるので、是非やめてほしい」と個々人が素直に言いあっても何の支障もない社会、そういう社会を目指したほうがいいんじゃないかという気がする。難しいかもしれないけど。