SmartNewsに出たらしい

  昨日のエントリ、突然アクセス数が激増しててびっくりしたんですが、どうも SmartNews に載ったみたいですね。使ってないのでどんな感じなのかイマイチわからんのですが、前の日のアクセス数が20だったのに次の日に3483だって。二桁も違うんで何事かと思いました。アクセス解析のグラフなんて、他の日の棒グラフがペチャンコになって見えなくなってます。

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 でも特に読者もブクマもスターも増えてないようなので、はてなユーザとはあまり被ってないってことなんですかね。一過性なんだろうし、そんなにありがたくもないかな…。

 もちろん普段読んでくださってる皆様には感謝しております。今後ともよろしくお願いします。

学校の先生って割に合わないよなぁ

 けっこう前からスタンダードになっている「さくらんぼ計算」のことで「テストでさくらんぼ計算を書かなかったからといって減点はおかしい」とボロクソに言われてますね。

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 画像に写ってるテストはいわゆる「カラーテスト」ってやつで、業者が作ったのを学校で活用しているものだと思います。先生が自分で作ったものじゃないでしょう。こういうのを授業の進行や内容にあわせて適宜活用しているわけです。

 もちろん採点は先生がやるので、授業での教え方や指示に沿って採点するのは別におかしいこととは思いません。普通に考えれば、テストに際して「式の下にさくらんぼを書くこと」を口頭ででも指示したんだろうと想像がつきそうなものだと思います。答えがあってればいいってもんじゃなくて、先生の話をちゃんと聞くっていうのも大事だと思いますよ。指示がなかったのなら確かに理不尽を感じるかもしれませんが、そこは画像とツイートからだけではわかりません。

 

 やり方を強制するのはおかしい、という人も多いですが、いろいろな方法を理解して使えるようにしておくというのも必要だと思います。「さくらんぼ計算」は10の補数を元に繰り上がりや繰り下がりの計算を理解するうえで有効な手法で、繰り上がりでつまずく子を減らそうという工夫です。暗算できる子にそんな眠たいことやらせるな、という意見もあるけど、そんなにできるんだったらさくらんぼ書くくらい楽勝でしょうに。数についていろいろな見方が柔軟にできるようになること、というのは、単に繰り上がりの足し算ができるという以上の意味があると思いますよ。さくらんぼ計算を「やらされる」のは一時的なことだし、普段の自分の方法とちがった手法を理解し練習する機会はもたせたほうがいいと思います。繰り上がりで暗算ができたって、数を量として把握できていなかったら別のところでつまずく可能性だってあるし。

 

 集合教育ですからどうしても一律にならざるを得ない部分はあると思います。できる子がかわいそうっていう、超優秀児だったみなさんの気持ちもわからなくはないけど。でも心配しなくたって、公文にでも行ってれば1年生で割り算の筆算くらいまでやってる子はザラですから。家庭教育でも熱心な人は子どもの理解度に合わせていろいろやってると思います。だから「学校だけが勉強の場ではない」ことは子どもたち自身のほうがよっぽど知ってるでしょう。

 

  僕だって学校の先生がおかしいと思うことはあります。算数でも、定期的に話題になる「かけ算の順序問題」は、順序を日本語の語順に固定することは特に理解の助けになるとは思えないし、柔軟なものの見方という点ではむしろマイナスではないかと思います。でもさくらんぼ計算はべつにおかしいとは思いません。

 

 なんというか、ことあるごとに「優秀なひとたち」が学校の先生を叩きまくってて、「先生はモノがわかってなくて、頭がかたくて、独善的で世間知らずのクソ」みたいなメッセージを大量に発信してるのって、すごくこう、危なっかしいな、と思います。もちろん先生が不祥事起こしたりすることもあるし、理不尽な先生だってみんなの記憶それぞれに一人二人いるくらいには珍しくないんでしょう。でも、背景もよく知らないのに自分の考えと違うからって頭ごなしにボロクソに叩くのはどうかと思いますよ。僕もあまり人のこと言えないので自戒も込めてということですが、先生とのあいだに信頼関係が作れなければ教育はうまくいかないでしょう。先生がたまたま本当にダメだったりすることもあるので、ハナから子どもに盲信させるわけにもいかないとはいえ。先生も努力する必要があるけど、社会の側も先生をもっと理解する必要があると思います。

 

 学校の先生って、とても大事な仕事なのにちょっとしたことですぐ叩かれまくって、ホント割に合わない職業だなあと思います。先生方、めげずにがんばってね。

ガマンするのは明日にしよう

「アリとキリギリス」を筆頭として、「将来困るのがイヤなら、いまガマンするべき」っていう寓話は多いですよね。僕たちもそういう考え方が健全で望ましいと思ってます。イヤなことを先送りにしない、将来のために投資する、みたいなのね。実生活でも、老後のために貯金する、将来のために勉強する、夏に向けてダイエットする、とかいろいろあります。

 でも、わかっていてもなかなかできないですよね。いま耐えなければならない苦痛っていうのはすぐ避けたくなっちゃう。それで未来の不利益のことを低く見積もって、「まだいいか」みたいにして先延ばしにしてしまいます。

 図にすると、

 

  現在(ガマン)=============> 未来(ハッピー)

 

よりも、

 

  現在(安楽)==============> 未来(苦労)

 

に傾きがちなわけです。

 だけど、よく考えれば人生はこの二択だけではないはずです。現在を楽に過ごし、将来も苦労しないようにする。で、ガマンはその間のどこかでする

 

  現在(安楽)===(ガマン)======> 未来(ハッピー)

 

 ていうことだってできるはずです。

 

 有名なマシュマロ実験てやつがあります。テーブルにマシュマロがおいてあり、幼児に「15分後にまた来るから、それまで食べずにガマンできたらもう一つあげるよ」といって1人にしておきます。当然ガマンできる子とそうでない子がいるんだけど、その後追跡調査したら、ガマンできた子はよりよい人生を送ってたっていうね。まあこの実験そのものは最近の再現実験では、ガマンできるかどうかはその子の経済的背景による影響が大きいってことだったらしいんですけども。

 その後の人生云々はともかくですね、これを少し変えた状況を想像してみてほしいんです。マシュマロのある部屋に入る前に、「これから君はマシュマロの前で15分待つことになる。15分ガマンしたらその後1つ追加であげようと思う。部屋に入る前に15分ガマンするかどうか決めてくれるかな?」と言われたらどうでしょう。マシュマロはあくまで比喩なので、大人が誘惑と戦うことを想像してほしいんですけども。それで、まだマシュマロを目にする前で、1人になる前に決めるんだったら、ガマンを選択するのはずっと簡単だと思えませんか?

 

 似たような話が、アン・ダリエリーの『予想通りに不合理』に出てきます。年金だか退職金だか忘れましたが、ともかく将来のために給料天引きで積み立てる金額を「いま」増やす、というのはなかなか踏み切れない。でも新入社員に対して「将来給料が上がったら拠出する割合を増やす」という選択肢を提示すると、多くの人がこれに同意したという話です。 

 

 こんなふうに、ガマンを先送りにするのはわりと簡単なんですね。あとは「先送りにしたガマンを確実に実行すること」をうまく工夫してやればいい。 

 たとえばいつもランチにお弁当を買っている人がダイエットしようとしているとしましょう。お昼の時間になってお弁当を買いに行くと、もうお腹が空いているのでカロリー控えめのものよりもガッツリしたものを食べたくなってしまうでしょう。そこで、お昼に食べるお弁当を朝のうちに買ってしまうわけです。後で食べるものを今コントロールするのは簡単です。お昼になったらもう買いにくことはせず、朝の冷静な自分が選んだものを食べればいいわけです。昼に買いに行ってガマンするより、ずっと苦痛が少なくて済むはずです。

 朝三暮四っていうと私達は愚かな選択をさしていいますけど、自分の愚かさを逆手に取ってものごとを楽にやっていく方法って、結構工夫できそうな気がします。いまガマンするのは難しい、将来困るのも嫌だ。じゃあ将来のためにガマンするのは明日にしよう。結構使えそうだと思いませんか?

 

 『予想通りに不合理』を読んでみてこんなふうに思ったのでした。他にもたくさんのヒントが得られた本なので、未読の方は是非。

 

実用書とのつきあい方

 昨日の記事で触れた投資の本もそうなんですが、ときどき実際的な知識を仕入れる必要のために実用書を読むことがありますよね。これも年齢が上がるにつれて心配事が増えたりして、それまで接してこなかった分野のことを知っておかなければならなくなったりします。お金の関係もそうだし、子育てや教育のこと、健康に関することなんかもそうですね。若い頃は書店の実用書コーナーなんか見向きもしませんでしたが、そうもいかなくなってきます。ネットではどうしても知識が断片的で偏るし、全体像がつかみづらい。なのでまだまだ本に頼ることは多いです。

 しかし残念ながら役に立たない本が少なくないというのも実感としてあります。時間とお金を無駄にしたくないので、そういういわゆる実用書を読むときに気にしているポイントがいくつかあります。 

 

最低3冊は読む

 どの分野でも、1冊の本ですべてはカバーできないものだと思います。内容が薄いことも多いし、ある本では常識のように書かれていることが他の本で否定されてるなんてことも珍しくありません。バランスの取れた見方を得るためには、面倒でも複数読んでおく必要があると思います。

 読むのに慣れている人なら、著者が論理的に議論しているかどうかはわかると思います。何冊か読んでみて、どれも話の展開がイマイチ合理的じゃないなー、と感じるようなら、その分野自体があまり成熟していないのかもしれません。すこし周辺まで広げてあたったほうがいいというサインだと思うようにしています。

 

データは大事

 生活に直接関わってくるような分野では、事例の紹介がされることが多いと思います。著者の実体験だったり、著者のクライアントや相談者だったり、知人の例だったり。Aさんはこういう行動のおかげでうまくいった、Bさんはこんな判断をしたせいで大失敗した、みたいなの。読む側としてもイメージを持ちやすいので、悪いことではないと思います。

 でも我々の脳はこういうエピソードに強く反応して印象付けられる傾向にあるので、注意が必要です。著者が「よくあることです」と書いてても、それが大半の人に起きるようなことなのか、「まれによくある」レベルなのかわかりません。

 なのでやはりデータは大事です。統計なり実験なりのデータが載っていない、グラフや表のない本は、著者が「なんとなくそう思った」ことしか書いてないわけです。こういうところは Amazon で本を探していてもなかなか見えてきません。図書館やリアル書店で立ち読みしながらでないと、「なか見検索」だけでは不足だと思います。なので僕はまだまだリアル書店に頼ることが多いです。

 

著者のポジションを割り引く

 本を書くくらいなんだから当然専門家なわけです。職業的な立場ってものがあります。誠実に仕事をしていればしているほど、自分自身や自分の業界は読者の役に立つと本気で考えていると思います。だからそこは割り引いて考える必要があります。本文中で「自分は〇〇という立場だから、ここは割り引いて考えてほしい」と書いてくれる著者もいますが、全員じゃない。著者のプロフィールは必ずチェックするようにしています。

 

「当たり前のことしか書いてない」本から読む

 いろいろ問題が指摘されている Amazon のレビューなんかでも、僕は結構参考にしています。レビューを書く人々のなかには、その分野に詳しいと自負している人も多くて、よく「当たり前のことしか書いてなくて物足りない」とか「この程度の内容ならネットで調べれば済む」とか書かれています。こういうレビューがつくのは、その本が基本的な内容を押さえていて、著者が突飛なことを言ってない証拠です。まあ場合によっては本当に内容がペラペラで「ネットで済む」というケースもあるかもしれませんが。でも初学者にとってはそういう「普通のこと」を知ることがまず大事なわけですから、一つの基準にはなると思います。

 逆に「斬新な切り口」とか「通説をくつがえす」とか書かれている本は、少なくとも従来的にはスタンダードな意見ではなかった主張がされているものだ、ということを念頭に置いて読むようにしたほうがいいと思います。標準的な内容と比較したかったら、それとは別の本を当たる必要があるということですから。

 

 

 特に好きでもない分野の本を何冊も読むのは、必要があるとはいえ結構大変ですよね。でも面倒がらずに比較検討するようにしたいと思います。うまくいい本に当たれば、案外面白く感じるなんてこともありますしね。運が良ければね。

投資デビューにあたって読んだ本

 ブクマでこんなことを書きました。

「銀行で投信買った人の末路」 金融庁の集計結果がおもしろい! - Not-So-News

投信の本を数冊読んだけど「銀行で投信買うな」「窓口で相談するな」は読んだ本全部に書いてあった。銀行への信頼をいいことに、本も読まない人たちをカモにしてる。

2018/11/09 08:05

 手元にある本を見返したら「読んだ本全部」ではなかったです。言い過ぎました。すみません。でも複数の本に書かれていたのは本当で、「銀行の窓口で相談すると、言葉巧みに銀行が売りたい商品を推してくる。そして彼らが売りたい商品とは、手数料が高くて銀行が儲かる商品である」というのは、なかば常識となっているようなんですね。だから実践を指南するくだりでは、たいていネット証券会社を勧めています。

 もちろんそのぶん自分でしっかり判断しなければならないわけですが、これもフツーの人向けとしては基本的にはインデックス・ファンドが推奨されているので、別に選ぶのに困るということはありません。理屈を飲み込んで納得がいけば、そんなに選択肢が多いわけではないし、実質的な違いはまさに手数料とかだったりするので。

 インデックス・ファンドがどんなものかっていう説明は僕のような素人が不正確なことを書くのもアレなので他で読んでください。自分としてはこれに投資するのは「個々の銘柄の命運はともかく、また短期的な景気の変動はともかく、市場全体は長期的には成長する」ことに確信が持てていれば、十分投資する気になれると思います。あと「資本主義はまだ当分滅びない」という確信も必要か(笑)。

 

 投資を始めたのはつい最近です。「考えてみようか」と思い立ってから実際に購入するまで2ヶ月くらいでしょうか。給料天引きで積み立てていたお金が少しまとまってきたこと、でもこのペースでは老後資金にやや不安があること、が理由です。それに自分の場合は年金だけでは結構厳しそうというのもあります。

 ラッキーなことに、実際に投資信託を購入したのは10月の半ばで、ちょうど株価が大幅に下落したところだったんですね。なので買ってからは回復しはじめて、すぐにプラスになっています。こんな短期間で一喜一憂する意味はないと頭ではわかっていますが、初心者としてはいいタイミングで始められたと思います。これが半月早かったらデビュー早々に大幅な下げ相場を経験することになってましたからね。

 準備期間には、積立を崩す手続きをしたり、証券会社に口座を作ったり、本を読んでちょっと勉強したりしてました。6〜7冊くらいかな?特に納得して「やってみよう」という気になった本は2冊。

 

お金が勝手に貯まってしまう 最高の家計

お金が勝手に貯まってしまう 最高の家計

 

 なんというタイトルでしょう(笑)。でも非常にわかりやすいし煽りも少ない良書だったと思います。節約より投資のほうが効果が大きい、保険はみんな払いすぎ、インデックス・ファンド買って寝かしとけ、というのが大筋です。

お金は寝かせて増やしなさい

お金は寝かせて増やしなさい

 

  梅屋敷商店街のランダム・ウォーカーというブログを書いている方の本で、こちらも実際的でわかりやすかったと思います。特に「売らずにガマンするテクニック」というのが紹介されていて、その内容もさることながら、わざわざそこに紙幅を割いているところに「売らずにガマンする」ことが実践する上でのキモでありかつ難しいポイントなんだということがよくわかります。

  

 で、インデックス・ファンドがいいっていう話の古典的名著ということになってるらしいのがこちら。 

 これは大変勉強になりました。初版が1973年ですから、どれだけ信頼されている本かよくわかりますね。

 

 一応、まだこの後も積立貯金から段階的に移行(もちろん運用する分だけです)をしたり、iDeCo なんかも手続きが済んだばかりだったりなので、しばらくは緊張しながら自分のお金をいじることになりそうです。うまくいけばいいと思っていますが、最終的にうまくいったかどうかはだいぶ先にならないとわからないので、まぁ気長にやっていこうと思っています。

Mac で Atom で Proxy 設定でハマった

MacAtom を使ってみようと思ってインストールしたんですけどね、パッケージもいろいろ入れてやらないといけないじゃないですか。ネットワーク越しに。それで Proxy の設定が必要になったんですが、これに一苦労しました。でも Proxy の設定なんてさー、OS のネットワーク設定でもやってあるんだからソレ使ってよー、て感じですがしょうがない。

macOS は 10.14、Atom は 1.32.1 です。
とりあえずググったとおりにやってみます。ターミナルでこんなの。

$ apm config set https-proxy http://[user]:[password]@[host]:[port]
$ apm config set http-proxy http://[user]:[password]@[host]:[port]

 設定ファイルにも反映されているのを確認しましたが、GUI の設定画面でパッケージを検索しようとするとエラーです。

tunneling socket could not be established, cause=connect EHOSTUNREACH ...

あれこれやってもダメで嫌になってきたところで「GUI のバグかも」というのをどこかで見かけたので(どこか忘れました)、パッケージのインストールをターミナルでやってみることにしました。あらそんなこともできるのね。

$ apm install emacs-plus

あっさり通りました。
なんだよもー。

 

しっかし、使える状態にするために悪戦苦闘するのってイヤですよねー。もうやりたくない。年取るとますますそういうのが億劫になってきた気がします。

ちなみに Atom はしばらく前にも Windows で使ってみて、起動が遅すぎるのでやめたのですが、最近 Mac でエディタが必要になったので改めてチャレンジです。自分が使う範囲で Emacs キーバインドがちゃんと使えて、shell が使えて、シンタックス・ハイライトなんかがソコソコ綺麗で、みたいなことを考えるとまあいいんじゃないかなと。Emacs そのものは、もう .emacs をいじる気もしないしツライです。キーバインドだけが離れられない。でも Mac だとメタキーに使う左の Option キーが端っこすぎて、左手の親指で押しづらいんだよなー。ブツブツ…。
まぁとりあえず必要なパッケージをいれて、まずまず快適に使える状態にはなりました。よしよし。

食べものの好ききらいは「悪」じゃない

僕も好き嫌いの多い子どもだったので、給食はつらかった思い出があります。

togetter.com  

特に低学年の頃は、食が細くて量がまず食べられない。そのうえ苦手なものが多いので、いつも給食を食べ終わるのが最後になっていました。掃除の時間になって、机を前や後ろに寄せられて、みんなが掃除をしているなか、寄せられた机の隙間の狭い場所に追い込まれて、苦手なうえに冷めた給食を前に何もできずにフリーズしていた子ども、それ僕です。

それでもパンが食べ切れなくて給食袋に入れて持ち帰らされるんだけど、家族に「また残したの?」と言われるのが嫌で(強く咎められたわけじゃないけど)、家の前の目立たない隙間にこっそり捨ててたこともありました。

わーつらい。もう書いてて泣きそうです。

 

大人になってから「給食を出すレストラン」みたいな店の話題になると皆が「なつかしー」「行きたーい」「給食大好きだった」と言ってて、すごい断絶を感じたことがあります。「学校では給食の時間が最大の苦痛だった」と言うと驚かれたりして。

 

どうも苦手で食べられないということが、食べられる人にとってはうまく理解しづらいみたいですよね。つらさが伝わらないから、わがままみたいに言われる。でも、こっちだって好き嫌いが多いのは自分で選んだことじゃないんですよ。あなたが何でもおいしいと感じるのは道徳的な判断の結果ですか?いや、もちろん頑張って食べ物の苦手を克服したこともあるでしょうけど、それは僕にだってあります。そうじゃなくて元々どうだったかっていうところでさー。

そんなわけで自分に子どもができてからも、いろんなものを食べてほしいと思う一方で、無理強いはしないようにしています。食事のたびに「ちゃんと全部食べなさい」と咎められるのがいかにつらいかわかるから。ただ食べ物を粗末にしないことだけ気をつけています。

 

松田道雄の『育児の百科』という本があります。1967年に最初の版が出た育児本ですが、僕が持っているのは岩波文庫版。新しい育児本ももちろん参考にしましたが、この本にも大いにお世話になりました。実際的な知識以上に、考え方がとても参考になるんですよね。で、偏食についても触れられていて、ちょっと長いですが引用します。

ねぎ、きゅうり、なすなどがきらいでも、みかんやりんごやいちごなどを食べていれば、ビタミンCやビタミンB1は、けっこう必要な量だけとれる。鶏肉がきらいでも、魚を食べていれば動物性タンパク質には不足はない。

食べ物の好ききらいを道徳的な悪としておしえたのは、戦前の軍隊教育である。兵営では、カロリーだけを計算して、味のほうを無視した食べ物を食べさせるのだから、兵隊が全部食べないとこまる。きらいだからといってのこされるとカロリーが不足する。女の子でも好ききらいがあると、嫁にいってからこまった。修身の教科書も婦人雑誌も、子どもの栄養といえば「偏食の矯正」をとりあげた。そのために、いまだに「偏食の矯正」を教育であるかのように思う偏見がのこっている。

偏食をなおすことが教師の義務であると思っている人がいると、子どもは迷惑する。にんじんがきらいとか、ピーマンが食べられないというのは、その人間の生理とむすびついた「好み」である。他人の迷惑にならないかぎり自分の「好み」をまもるのは、プライバシーの権利だ。きらいなにんじんが食べられないでこまっている子どもがそれを食べるまで席を立たせなかったり、ひとりでもおかずをのこしている子のいるあいだ、ほかの子どもに席を立たせないのは、プライバシーの無視を教育していることだ。日本中の古い世代の頭から、偏食は悪であるというかんがえをたたきださないといけない。にんじんやなすをいやがって食べないことが、子どものからだの成長をさまたげると思うのは、栄養学を知らないためだ。

(中略)

自分の好みにあったものだけを、自分の生活にとりいれて楽しく生きるのは、人間ののぞましい生きかただ。にんじんのきらいな子に、にんじんをいろいろに工夫して食べさせるのもいい。しかし、子どもがいやいや食べているのなら、子どもの好きなみかんを与えることで、食事を楽しいものにしていくほうが、母親と子どもとの不要なまさつを少なくする。

子どもの生理にさからったむだな強制が、なんとしばしば「しつけ」とよばれたことか

(『育児の百科(下)』pp.152-153) 

 

このくだりを読んだとき、僕は子どもの頃の自分が救われたような気持ちになりました。そうだよ、好ききらいは「悪」じゃないよ!

残すのがもったいないなら、食べられるものを食べられる量だけとるようにすればいいじゃないですか。大人になって客として振る舞われたものが食べられなければ、率直に感謝を伝えて謝ればいいじゃないですか。

すでに半世紀前にはこう書いてくれるお医者さんがいたのに、まだ無理強いされてつらい目にあっている子がたくさんいるのは悲しいことです。好ききらいのある子どもたちに言いたい。君たちは悪くないよ、と。

 

定本育児の百科 (岩波文庫)〔全3冊セット〕

定本育児の百科 (岩波文庫)〔全3冊セット〕