根拠と説得力、名無しさんを信用する錯誤

依存症の独り言: やはりねつ造だった「天皇発言」
では、すでにあちこちに貼られていたコピペを「根拠」として「やはりねつ造」だと (このコピペ貼ってもらうまで知らなかったのかな?)。このコピペは「メモは会見の筆記録」であることが最初の前提であり、その上で会見の発言者として徳川元侍従長が挙げられています。そのため、この前提以下の論理展開は「会見が実際に行なわれたこと」に強く依存しています。しかし、会見が実際に行なわれたという話がいまだに出てこないようです。2ちゃんねらご自慢の「地を這うようなクローラー(間違えたw)ローラー作戦」は一体どうしたのでしょうか。

ともかく、28日の侍従長による会見の事実について何か出てくるまでは、ほとんど根拠らしい根拠を持たない、憶測にとどまるものです。僕自身は、これくらい待って出てこないなら、これから出てくることはまずなさそうだな、と思っていました。

しかし、この人の次のエントリでは、

やはり、「25日の昭和天皇記者会見」の真意を、徳川・元侍従長から28日に聞き、メモに取った。そして、徳川・元侍従長の解説には、徳川氏個人の主観が大いに含まれていた。

…あれ?徳川氏による会見じゃなかったの?意見変わったんですか?なんで?

いやらしいのは、この説だと「徳川氏の会見があったという事実」が不要になるところです。逆に、必要になる証拠の提示が格段に難しくなります。意見を異にする第三者でも確認できるような客観的な根拠は、普通の人にはもはや出せません。そういうものがもし仮にあるとしても、それは関係者でなければ入手できないでしょう。そしてその困難さをもって、主張する側の挙証責任を免れようとしているんじゃないでしょうか。でなければ、少なくとも「自分には根拠は示せない」ことを認めてほしいものです。

内容を問題にしてるんじゃないです。黒幕とかそういうのには興味ないです。それ以前の問題です。


もう一つ。捏造や誤報に関して相当のリスクを負ってるはずの大手マスコミよりも、なぜ完全に無責任になることのできる2ちゃんの名無しさん達の主張のほうに重みづけをしてしまうんでしょうか。マスコミが偉いとは言いません。そうじゃなく、マスコミの発表は微に入り細を穿って検証するのに、2ちゃんの名無しさんの話を何故こうまで無批判に受けいれてしまえるのか。そこに自分で違和感を覚えないのでしょうか。


…ええと、でもその、一番いやなのは周りの釣られっぷりなんですけどね。

追記 (7/26)

当時の新聞報道を調査した方 (すばらしい) により、徳川元侍従長の会見は4月12日で、その後会見があった様子がないことがわかったようです。できれば捏造説を主張する人たち自身が「調べた結果、無いとわかった」というところに到達してほしかった。(その意味では id:lovelovedog さんは本当に真摯な人だと思う。ていうか調べ物が大好きなのか)

富田氏が徳川元侍従長から聞いた話のメモである、とする説は、どうすれば補強できるでしょうか。僕が出すのが難しいと言ったのは、たとえばこういうものです。

  • 4月28日に富田氏と徳川氏が会っていたという記録
  • 逆に、4月28日に富田氏は昭和天皇とは会っていないという記録
  • 一連のメモのうち事実との対応関係が確認できるものでは、ほぼメモの日付にずれがないということを示す
  • 富田氏が昭和天皇の前でメモをとることはなかった、という証言
  • 富田氏が人と面会した後でとったメモが、多くの場合、走り書きではなく丁寧に書かれていたという証拠
  • 昭和天皇は富田氏と個人的な思いを話し合うほどの仲ではなかったことを示す
  • 富田氏の一連のメモの中に、徳川氏の発言、またはその他の人々の発言が多数記録されていることを示す。また同時に、それらのメモの多くが「誰の発言かわからないような書き方で」記録されていることを示す。

…やっぱり難しいですよね。でもね、やっぱ「〜であるはずがない」「〜とは考えられない」というのは、全然根拠にならんでしょう。

でも、これから時間をかけて調査が行われ、昭和天皇の全貌が明らかにされることを願います。でもまだ歴史というには生々しいから、もう少し寝かせてもいいかもしれませんが。