ライブドアPJ 池野徹氏の記事の「国語」の問題


livedoor ニュース - 「レイプ事件」ニュースがもたらした、ネットメディアの稚拙さ。

この記事、内容については僕が改めて何か申し上げるまでもないと思います。が、内容とは別に、日本語表現についてもかなり難のある文章で、読者の多くはきっと「片っ端から赤を入れてやりたい」とお考えになったのではないかと思います。僕は日本語による文章表現に特に自信があるというわけではありませんが、それでも気になるところが多いので、ネチネチと指摘したいと思います。


まずタイトルですが

「レイプ事件」ニュースがもたらした、ネットメディアの稚拙さ。

となっています。内容から判断するに、ここで「もたらした」は不適切でしょう。これでは「ニュースが原因となって稚拙になった」という意味になってしまいます。「〜が浮き彫りにした」「〜によって明らかになった」などのほうが良いでしょう。また話題の始点は事件のニュースそのものではなく、むしろ記者による記事の方ですから「「レイプ事件」の記事が」とすべきでしょう。さらに「ネットメディア」という言葉では対象がやや不明瞭です。特に個人のブログが含まれるかどうかは、解釈の分かれるところでしょう。用語を再考すべきところかと思われます。

朝日新聞6月21日の夕刊に掲載された記事。「ヘルプ、ミー。隣のおじさん痴漢」という見出し。

記事冒頭の二文が体言止めです。この程度なら許容範囲内と思いますが、体言止めの多用は稚拙な印象を与えますので注意が必要です。

この女性は、咄嗟のことで、携帯メールという最新武器を使い、しかも、犯人逮捕まで実行した。

一文中に読点が多すぎます。「この女性は咄嗟に携帯メールという最新武器を使い、しかも犯人逮捕まで実行した」で充分でしょう。しかし取り押さえたのはその女性自身ではないようですから、「犯人逮捕を実行」という表現は誤解につながりかねないという印象を多少受けます。

JR北陸線の特急電車「サンダーバード」の車内で、乗客40人あまり在席していたにも拘わらず、2006年8月に、当時21歳の女性を乱暴したとして大阪府警淀川署は2007年4月21日、解体事業を営む植園貴光被告(36)を強姦容疑で再逮捕した。

一読して意味をとりづらい文章です。例えば「昨年8月、JR北陸線の特急電車の車内で当時21歳の女性を乱暴したとして、大阪府警淀川署は解体事業を営む植園貴光被告(36)を強姦容疑で今年4月21日に再逮捕した。車内に40人あまりの乗客が居合わせる中での犯行だった。」などと、少し順序を入れかえたほうがぐっと読みやすくなるでしょう。

なんと2カ月後に、PJ-ニュース、独女通信、J-CASTニュースをはじめ、ブロガーから数々の賛否両論の批判を受けた。これは、PJニュースと記者に対する口封じなのか。

「なんと〜」という表現が効果をもつためには、それ以前に読者が書き手と驚きを共有する準備ができていなければなりません。準備もなく唐突に「なんと〜」などと書くと、書き手が自分で勝手に驚いているという印象を強めてしまいます。またこの文では、批判が2ヶ月も後であることに驚いているのか、批判があったこと自体に驚いているのかもわかりません。
また「賛否両論の批判」は明かにおかしな表現です。賛否両論であれば「賛否両論の意見が出された」「賛否両論の激論が交された」などとすべきでしょう。今回の場合、事実に基くなら「激しい非難が浴びせられた」とすべきでしょう。また「批判」から直接「口封じなのか」とつなぐのは無理があります。「口封じ」は脅迫があったとか、言論によらない圧力がかかったような場合に使うべき表現でしょう。

PJ記者が、予想外だったのは、災難に対して、女性が助かる考え方を示したのに、ダブルレイプの記事だと言われたことである。

読点が多すぎるのは癖のようですね。直したほうが良いでしょう。「ダブルレイプ」は「セカンドレイプ」の誤りかと思われます。Google 等で用例を見ると「ダブルレイプ」はポルノに使われることが多い用語のようですので、奇異な印象を与え、また読者の不快感を煽る結果となってしまいます。
上の文を含むパラグラフは4つの文からなりますが、文末がそれぞれ「と言われたことである。」「解釈されたこと。」「解りきった事だ。」「意図的な事だ。」となっています。すべて「こと」が含まれる言い回しですが、このような重複は避けるべきです。なるべく色々な言い回しを使いこなせるよう練習しましょう。

そのために、意思表示、行動しなかったから、一番ワルいと判断したのだ。

「犯人が一番ワルいのは、解りきった事」のすぐ後でこれでは、実際に記者が誰を「一番ワルい」と考えているのかわからなくなります。本当に犯人が一番悪いと考えているならば「あえて一番ワルいと極端な表現をしたのだ」など、はっきりと伝わるように意思表示をすべきです。

PJ記者が受けた読者反応で感じる事は、国語の解釈の問題である。

「読者反応」などという用語を創作するより、素直に「読者の反応」とすべきところです。


最後の段落は、かなり混濁していると言わざるを得ません。

時はネット時代、デジタル革命と言われるゆえんは、パーソナルに自分の情報を世界に発信できる事だ。

「パーソナルに」では公共に向けてという意味合いが薄れますので、素直に日本語で「個人が」とするほうがよいでしょう。また記者が批判されたのは Public Journalist という立場で書かれた記事ですから、文脈からすればますます「パーソナルに」などと言うのはちぐはぐです。

人に、お客様に見てもらうには、クオリティ、モラル、エンタテインメントは必要だと思う。

誰かに、もしくはどこかにこれらが欠けていると言いたいのなら、対象が不明瞭です。記者に対する批判者たちに欠けていると言いたいと仮定すると、前段までの主張は「言葉尻ではなく文章全体の意をくみとるべきだ」というものですから、「クオリティ」等をここで持ち出すのはあまりにも唐突です。逆に、単に一般的な言明であれば全く不必要な文であり、混乱の元です。もしかすると「ワルい」という「キャッチ」が「エンタテインメント」の一環であると言いたいのでしょうか。仮にそうであれば、「キャッチ」云々の周辺で述べておくべきでしょう。

PJ=Public Journalistは、ネット上でまだ定着はしていないが、既存ジャーナリストにとらわれない、自由な目で、いろいろな角度からの、ニュースの見方を提示して、憂き世を、正義の世に向かわせる一助となればと思っている。

「既存ジャーナリストにとらわれ」るというのでは意味不明ですから、おそらく「既存ジャーナリズムにとらわれない」の誤りでしょう。ここでもまた読点を多用する癖が出てしまっており、せっかくの結びの一文が締まりのないものになっています。



全体に、批判者に対してその読解力のなさを批判していることは何とか読みとれますが、ここまで稚拙な文章で相手の読解力を云々するのえは、かえって滑稽に映ります。今後はまず、なるべく自然で読み易く、誤解を生まないような文章表現を心がけてはいかがかと思います。「自由な目」や「いろいろな角度」を主張して、それがきちんと「一つの見方」として受け入れられるのに必要な技術は、池野氏にはまだ備わっていないように思います。

僕自身、他の人の書く日本語を添削できるほどの文章力があるなどと思っているわけではありません。ですので、このような指摘はおこがましいと言われればその通りかもしれませんが、品質改善にきっかけにでもなればと思いきって書いてみた次第です。