自衛官に選択を強いてはいけない


佐藤議員の発言にあった「あえて巻き込まれる形での駆けつけ警護」という考えは、やはりどうしても認めることはできないと思います。僕はあえて「盧溝橋」とか「関東軍」とかと比べるつもりはありませんが(連想する人がいるのは当然だと思いますが)、集団的自衛権が容認されぬまま派遣された以上、どれほどそれが「普通に考えて」当然の行動と思えても、自国の民意をないがしろにするような「覚悟」をしてもらっては困るのです。
そりゃあ目の前で味方が攻撃されたら助けたくなるでしょう。それが人情ってもんです。でも人情だけで間違いが起きないんだったら、法律なんて何のためにあるんですか?実力集団が間違いを犯せば、その帰結は極めて重大なものになります。自衛隊の活動が正当なものであるためには、どこまでも原則に忠実であることが必要なはずです。その原則とは、民主主義であり、文民統制です。海外での武力による「国際貢献」に積極的な立場をとる(僕とは逆の)人々こそ、彼らの現場での活動が常に原則と正当性を必要とすることに敏感であるべきではないでしょうか。でなければ、すぐに「だから軍人は信用できない」と言われるのがオチです。


ですから僕は、やはりあんな考えは絶対に間違っているし、断じて許せない、と最大限の非難を浴びせざるを得ません。しかし同時にまた、そのような「間違った覚悟」を抱かざるをえない地点に立たされた、当時の「ヒゲの隊長」には深く同情します。
「自衛の範囲を超えた武力行使はまかりならん」という日本国民の意志と、「目の前の味方を助けたい」という人間的な感情と、そのいずれかを現場の自衛官に選ばせるようなことは間違っている、と思います。危険をかえりみずに任務にあたっている彼らに、そんな選択をさせてはいけない。「非戦闘地域」が虚構である以上、その選択はいつ迫られてもおかしくなかった。
「喜んで裁かれよう」と言いますが、もし現実にそういった事態が起きていたとしたら、おそらくは「気持ちはわかる」「悪気があったわけじゃない」という擁護の声が湧き起こったことでしょう。そしてそれが集団的自衛権行使の「実績」になったことでしょう。そのまま、なしくずし的に集団的自衛権が容認されてしまったかもしれない。僕は佐藤議員がそんな「なしくずし」の展開を望むほど愚かだとは思いたくありませんが、「オレが責任をとる」では済まないこともあるということは、もっと自覚してほしいものです。僕は「当時の」彼の立場には同情しますが、国会議員となった今の彼には全く同情できません。佐藤議員は、当時の自らの考えを「間違っていた」と乗り越えなければならない立場になったはずです。


佐藤議員の発言には確かに恐るべきものがあり、間違っています。しかし何といっても、そんな選択肢がいつ自衛官たちに迫られてもおかしくない、という状況で派遣を決めた当時の政治的判断は、それ以上に間違ったものだったと断ぜざるをえません。イラクへの派遣そのものが間違っていた、と改めて思わずにはおれません。