自己啓発とか

y_arim氏の言うとおりで(web色紙は笑った)、スピリチュアルというか、ニューエイジの基本概念である、「自分にはまだ導き出されていない能力がある」「自分が変われば世界は変わる」「今の自分とは違う本当の自分がどこかにある」というメンタリティが自己啓発の根底にはある。

「本当の自分」とかって「立太子ボタン」の根底にもありますよね。
…あ、冗談はさておき、

安い給料で、時間外にもサービス残業で目一杯働かされている現代の労働の状況において、そこからさらに生産性を高めるとするなら、あとは労働の質を高めるしかない。そのためには、労働者のモチベーションを高めればいいのだけど、現代のやりがいが剥奪された労働にやりがいを感じさせることは難しい。それこそ催眠術でも使わないと無理。
そう、その睡眠術に当たるものこそ自己啓発ポジティブ教というわけだ。


ここで「自己疎外」とか「物象化」とか「支配的イデオロギー」とかいう言葉を使ってたのが昔の左翼ですよね(僕の理解では)。「イデオロギー」って言葉、なんかここのところネットで見かける用法では「ウヨク」や「サヨク」だけが持っている、半ば宗教にも似た頑迷な信念、みたいな意味で使われてることが多いと思いますが、あれちょっと変だよなーと常々思ってるんですよね。確かに左翼のそれだって「対抗的イデオロギー」でしょうけど、むしろ「世間一般に浸透している、現在の権力関係の維持に好都合な価値観や言説の集合」としての「支配的イデオロギー」の問題を考えるときのほうがずっと、「イデオロギー」の概念が使えると思うので。つまり、ウヨクやサヨクではなくて「普通の人のイデオロギー」こそ本当は問題なんじゃないの?ていう。


で、すごい久しぶりにこんな本をパラパラと。

イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー)

イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー)

けれども、意識のなんらかの形態が往々にしてとりわけイデオロギー的であると感じられるのは、それがどのように生まれたかとか、それが真実か否かということではなく、それが不公正な社会秩序を正当化する機能をはたしているという事実があるためである。(p.105)

成功したイデオロギーはしばしば、その信念を自然なもの、自明なものとみせかける ── 社会の「常識」と一致させ、それ以外の信念を想像できないようにさせるのだ。
(中略)
この説にしたがうとイデオロギーとは「もちろん」とか「いうまでもなく」というかたちであらわれる。そしてジェルジ・ルカーチからロラン・バルトにいたるまで、これこそ「イデオロギー批判」が前提とするイデオロギーの中心的なありようであった。イデオロギーは歴史を「第二の自然」として凍結し、歴史を自然発生的なもの、不可避なもの、したがって変更不可能なものとして提示する。(中略) ありとあらゆる形態の人間社会が、これまで、攻撃的性格をしめしてきたことを、あなたは認めるかもしれないが、しかし、そのいっぽうで、あなたは、攻撃的性格が消滅する未来の社会秩序を希求していてもおかしくはない。ただし、いつでも、あらゆるところで、これまで真実であったものは、人間の本性(ネイチャー)に固有のものだから、それを変えることなどできないというような強力なほのめかしがあることはいうまでもない。(pp.135-137)


なんか元の話題からズレてるけどまあいいや。メモってことで。