表現の自由を行使したために不当に拘束された事件の、もう一つの例


中国でチベット人の子どもたちが拘束された、昨年9月の事件です。

9月7日、甘粛省甘南チベット族自治州夏河県で、40人の子どもたちが表現の自由を行使したために警察に拘束された。7人を除いて子どもたちは48時間以内に警察から釈放された。7人の子どもたちのうち14歳の2人は、両親が警察に金銭を支払って釈放された。金額は2000元(US$250.00)とされる。ラモ・ツェテン(Lhamo Tseten)という14歳の少年は、同様に警察に金銭を支払って、拘禁中に頭部に受けた重い怪我の治療に行くことが許可された。

その他の情報源:
China: Tibetan Schoolboys Detained as Crackdown Worsens (Human Rights Watch, 20-9-2007)
International Campaign for Tibet: Tibet News: Schoolboys blamed for Tibet graffiti still held incommunicado after beatings


ヒューマン・ライツ・ウォッチの記事には、この子たちのやったことがもう少し具体的に書かれています。

The students were alleged to have written slogans calling for the return of the Dalai Lama and a free Tibet the previous day on the walls of the village police station and on other walls in the village.

地域の警察署その他の壁に、ダライ・ラマの帰国やチベットの自由を求めるスローガンを落書きしたかどで拘束されたことがわかります。この事件もまさに、政治的な意見を表明したことにより拘禁された事件であって、先日言及した立川テント村事件と共通するところがあります。もちろん、2つの事件の間には様々な違いがあります。立川テント村事件では長期拘禁や侮辱はあったものの、直接の身体的な拷問や、釈放にあたって金銭を要求されるようなひどい腐敗があったわけではありません。また、チベットの人々の置かれた状況は、テント村の人々とは比べるべくもないでしょう。したがって確かに、2つの事件ではその重大性には確かに大きな開きがあります。しかし、それでも重なりあう部分は決して瑣末なものではないはずです。


僕は中国の国内法については知りませんが、公共の施設の壁に落書きすることが何かしらの形で違法行為とみなされるであろうと推定しても差し支えないだろうと思います。とするならば、この子たちは「自分たちの政治的な意見」を「違法行為を犯してまで」地域の人々や警察に「押し付け」た、ということになるはずです。


もし立川テント村の事件を「迷惑をかけたのだから」あるいは「(微罪であれ)違法行為を行なったのだから」逮捕は当然であるとか、「わざわざリスクの高い手段を選択したのだから逮捕は自業自得」であるとか、「政治的な主張の押し付けはウザいし恐い」と考えるのであれば、このチベットの子どもたちについてはどのように考えればよいのでしょうか。落書きが違法行為とみなされても驚くにはあたらないでしょうし(少なくとも一般的には迷惑な行為でしょう)、また明かにリスクの高い方法です。その内容は、ここ数週間のあいだ聖火リレーの場でアピールされているのと同様、政治的主張そのものです。
逮捕は自業自得でしょうか。
ウザいし恐いからどんどん取り締ってもらいたい、というべきでしょうか。
拷問や金銭の要求は問題だが、落書きが違法行為なら逮捕には何の問題もない、のでしょうか。
あるいは、立川の場合には「あくまで住居侵入が容疑」というタテマエがあるから正当だ、というふうに内実を無視すればいいのでしょうか。
だとすれば、仮にチベッットの子たちの容疑が「落書き」そのものに限定されてさえいれば、この逮捕と拘禁は言論弾圧とは何の関係もない、ということになるのでしょうか。


僕には、いずれも不当だとしか思えないのですが。