光市母子殺害事件の差戻審判決
以前に何度か言及したこともあり、最高裁での検察側・弁護側それぞれの弁論要旨その他を読んでいたこともあって、自分なりにかなり関心を持って判決の報道や判決要旨などを読みました。最高裁での差戻し決定は、死刑を回避すべき特別の事情がなければ死刑とするほかないというものでしたし、今回の死刑判決は予想できたことではあります。ただ僕は弁護側の主張に一定の説得力を感じていたので(この点は、マスコミ報道しか見ていない人にはまず理解できないのではないかと思います)、判決理由で事実に関する弁護側の主張がことごとく退けられているのを見ると、新たな供述が本当に全てウソだと言いきれるのだろうか、という疑問は残ります。判決要旨を読んでみても、率直に言って一審と前の控訴審の事実認定をそこまで「揺るぎなく」認めることができるものなのか、にわかには納得しきれない部分はあります。まあ、素人目に要旨を読んだだけではあるのですが。
もう一点、これは他の人も指摘していることですが、事実について争ったこと自体をもって「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見いだす術もなくなったというべきである」とするのは、ややアクロバティックな論理という印象を受けます。新たな供述を全て完全に否定しきって、虚偽であり死刑回避のための不誠実な弁解であると完璧に認定できなければ、このような判断はできないでしょう。しかしそんなことが一体人間に可能なのだろうか。もし仮に、被告が少なくとも主観的には誠実に供述していたというようなことがあれば(その可能性は残されていると思います)、今回の判決のような論理では、被告には事実を明らかにしようと努力する理由がなくなってしまいます。まさに Catch-22 になってしまう。それで本当にいいのだろうか。この犯人を殺してしまって、本当に大丈夫なんだろうか。絶対に間違いはないのだろうか。
弁護団は上告しましたが、きっと棄却されるのでしょうね。おそらくこれで、死刑の確定まで行くのだろうと思います。
この裁判やそれに関する報道などは、様々な形で波紋を広げましたね。特に安田弁護士らが弁護団となって以来、彼の欠席であるとか、荒唐無稽とも思える新たな供述であるとか、そういった部分に対する反感から弁護団を攻撃する人々が出てきました。さらに異様なほど世間の感情を煽る報道や、道理にかなわない懲戒請求をあろうことか弁護士が扇動するようなことまでありました。弁護団に対する懲戒請求を出しながらその意味がわかっていない人の多さ、今にいたるまで基本的な事実を誤認したまま論評する人々の多さ、無責任な扇動をした輩が府知事に選ばれてしまうという事態、いろいろな面で、恐怖を覚えずにおれない現象もありました。
しかし一方で、希望もある、と僕は感じています。
少なくとも僕はこの事件を通じて刑事弁護やそれにまつわる様々な問題に対する理解が、以前に比べればはるかに深まりました。そういう人は多数派ではないかもしれませんが、決して少なくはないだろうと思います。また報道のあり方に関しても BPO から非常に真摯な意見書が出されました。今後の報道もよく見きわめていかねばなりませんが、一つの指針が示されたことは成果といっていいと思います。また、今回の判決後の被害者遺族の会見は、僕の感想では、きわめて立派なものでした。通常であれば当事者、特にこのような痛ましい事件の被害者遺族に期待することなど到底できないような深い認識を示していたと感じます。
すべての人がこの事件や裁判から教訓を得るというわけにはいかなかったかもしれませんが、様々な問題が提起され議論の俎上に乗せられたことや、一部とはいえ刑事弁護や報道の問題に対する認識が深まったことは、貴重な前進でもあったと感じます。この事件のもたらした負の面と比べてどちらがどうなのかはわかりません。しかし、遅々とした歩みとはいえ前進ではあるのだと、被害者の死も、遺族の戦いも、弁護団の奮闘も、決して無駄ではなかったのだと、そう信じたいと思います。