何が欺瞞かって

トリアージが成り立つためには、本当に限定された緊急事態であり他に選択肢がないことが一つの条件として必要です。ところが社会/政治の分野では、あるいは雇用や福祉などの分野では、危機でもないのに危機を煽ることでトリアージを迫る発想が幅を利かせています。

ということでしょうに。そもそもトリアージ自体にだって矛盾や理不尽がいっぱい詰まってる。なのにその矛盾や理不尽を都合良く忘れてトリアージの「有効性」を「応用」しようとかいうのはやっぱダメでしょ。部分的に、テクニカルに学べるところはもちろんあるでしょうけど。でもよくよく警戒しなくてはならないのは「苦渋の決断の重要性」みたいなことを「学ぼう」としたり、そうした「決断」を英雄視したりする態度でしょう。トリアージはその「重さ」ゆえに許容せざるをえないけど、そこにある圧倒的な理不尽を無視して「有限な資源を最適配分する例」とか、よしてくださいよ。


あちこちで批判されてるのはそういう所なのに「じゃあ共倒れのほうがいいのか」とか「医療実践に対する冒涜」みたいな反応が大量にあって、もはやむしろ滑稽。


この周辺で色々読んで色々思ったこともあるけど、またの機会にします。