食べものの好ききらいは「悪」じゃない
僕も好き嫌いの多い子どもだったので、給食はつらかった思い出があります。
特に低学年の頃は、食が細くて量がまず食べられない。そのうえ苦手なものが多いので、いつも給食を食べ終わるのが最後になっていました。掃除の時間になって、机を前や後ろに寄せられて、みんなが掃除をしているなか、寄せられた机の隙間の狭い場所に追い込まれて、苦手なうえに冷めた給食を前に何もできずにフリーズしていた子ども、それ僕です。
それでもパンが食べ切れなくて給食袋に入れて持ち帰らされるんだけど、家族に「また残したの?」と言われるのが嫌で(強く咎められたわけじゃないけど)、家の前の目立たない隙間にこっそり捨ててたこともありました。
わーつらい。もう書いてて泣きそうです。
大人になってから「給食を出すレストラン」みたいな店の話題になると皆が「なつかしー」「行きたーい」「給食大好きだった」と言ってて、すごい断絶を感じたことがあります。「学校では給食の時間が最大の苦痛だった」と言うと驚かれたりして。
どうも苦手で食べられないということが、食べられる人にとってはうまく理解しづらいみたいですよね。つらさが伝わらないから、わがままみたいに言われる。でも、こっちだって好き嫌いが多いのは自分で選んだことじゃないんですよ。あなたが何でもおいしいと感じるのは道徳的な判断の結果ですか?いや、もちろん頑張って食べ物の苦手を克服したこともあるでしょうけど、それは僕にだってあります。そうじゃなくて元々どうだったかっていうところでさー。
そんなわけで自分に子どもができてからも、いろんなものを食べてほしいと思う一方で、無理強いはしないようにしています。食事のたびに「ちゃんと全部食べなさい」と咎められるのがいかにつらいかわかるから。ただ食べ物を粗末にしないことだけ気をつけています。
松田道雄の『育児の百科』という本があります。1967年に最初の版が出た育児本ですが、僕が持っているのは岩波文庫版。新しい育児本ももちろん参考にしましたが、この本にも大いにお世話になりました。実際的な知識以上に、考え方がとても参考になるんですよね。で、偏食についても触れられていて、ちょっと長いですが引用します。
ねぎ、きゅうり、なすなどがきらいでも、みかんやりんごやいちごなどを食べていれば、ビタミンCやビタミンB1は、けっこう必要な量だけとれる。鶏肉がきらいでも、魚を食べていれば動物性タンパク質には不足はない。
食べ物の好ききらいを道徳的な悪としておしえたのは、戦前の軍隊教育である。兵営では、カロリーだけを計算して、味のほうを無視した食べ物を食べさせるのだから、兵隊が全部食べないとこまる。きらいだからといってのこされるとカロリーが不足する。女の子でも好ききらいがあると、嫁にいってからこまった。修身の教科書も婦人雑誌も、子どもの栄養といえば「偏食の矯正」をとりあげた。そのために、いまだに「偏食の矯正」を教育であるかのように思う偏見がのこっている。
偏食をなおすことが教師の義務であると思っている人がいると、子どもは迷惑する。にんじんがきらいとか、ピーマンが食べられないというのは、その人間の生理とむすびついた「好み」である。他人の迷惑にならないかぎり自分の「好み」をまもるのは、プライバシーの権利だ。きらいなにんじんが食べられないでこまっている子どもがそれを食べるまで席を立たせなかったり、ひとりでもおかずをのこしている子のいるあいだ、ほかの子どもに席を立たせないのは、プライバシーの無視を教育していることだ。日本中の古い世代の頭から、偏食は悪であるというかんがえをたたきださないといけない。にんじんやなすをいやがって食べないことが、子どものからだの成長をさまたげると思うのは、栄養学を知らないためだ。
(中略)
自分の好みにあったものだけを、自分の生活にとりいれて楽しく生きるのは、人間ののぞましい生きかただ。にんじんのきらいな子に、にんじんをいろいろに工夫して食べさせるのもいい。しかし、子どもがいやいや食べているのなら、子どもの好きなみかんを与えることで、食事を楽しいものにしていくほうが、母親と子どもとの不要なまさつを少なくする。
子どもの生理にさからったむだな強制が、なんとしばしば「しつけ」とよばれたことか
(『育児の百科(下)』pp.152-153)
このくだりを読んだとき、僕は子どもの頃の自分が救われたような気持ちになりました。そうだよ、好ききらいは「悪」じゃないよ!
残すのがもったいないなら、食べられるものを食べられる量だけとるようにすればいいじゃないですか。大人になって客として振る舞われたものが食べられなければ、率直に感謝を伝えて謝ればいいじゃないですか。
すでに半世紀前にはこう書いてくれるお医者さんがいたのに、まだ無理強いされてつらい目にあっている子がたくさんいるのは悲しいことです。好ききらいのある子どもたちに言いたい。君たちは悪くないよ、と。