「断罪」という語感に反応しちゃうってところはありますね
Apes! Not Monkeys! はてな別館 - なぜ「断罪」してはいけないのか?
これはまたこれで納得しました、というか「いずれにせよ批判的に検討することは必要だけれども」と書いたように、この追記部分には全く同意なのです。
私は別に過去の個人を罵れとか鬼畜呼ばわりしろ、なんてことは主張していない。また、個別の戦争犯罪はともかく、戦争犯罪が生じる背景だとか植民地支配の責任という問題については、あまりにも多面性をもつがゆえに特定個人を断罪するだけで足りるとも思っていない。しかし歴史上のある時点である決断・選択を行なった個人について、その決断・選択の責任を「間違っていた」と評しうるのなら「間違っていた」と言えばいいじゃないか、ということである。
この直前で id:Apeman さんが指摘されているとおり、「断罪」という言葉の響きのせいで話が微妙になってるところはあると思います。
自分なりに咀嚼してみると、一方には「個人を感情的に断罪したり非難するだけでこと足れりとしてしまうという危険がありはしないか」という懸念があり、またもう一方には「相対主義におちいってしまっては教訓など得られないのではないか」あるいは「間違っていたことを間違っていた、と言わずに総括などできないのではないか」という考えがある、のかなと。けど互いに相容れないわけではないですよね。
それとこれって、あっさり一般化してしまえるようなものじゃなくて
当事者や準当時者は別として(この区別は大切)、過去の歴史につい後の世代が断罪調になるのはキケンなのですよね。
しかし、別に鎌倉時代の「罪」を明らかにしようというはなしではないのだ。数は少なくなったとはいえ、いまだに当時を知る人々が(そして被害者が)生存している出来事の責任を明らかにしようというはなしなのである。
というあたりが、つまり距離感のようなものが結構キモだったりするのかも、とも思いました。
免罪したいがために「断罪するな」と言うやりかたに違和感をもってることには変わりありません。ただ別の角度から(鬼畜呼ばわりとかそういう意味での)「断罪」にもまた、危険はあるんだろうなと。