祖国のために命をささげるエリートを育てて血を流して戦わせよう、と主張する稲田朋美議員
8月29日に開かれたシンポジウム「新政権に何を期待するか?」では「徴農」という素晴らしくキャッチーな新語ではてなユーザの心を鷲掴みにした稲田議員。多くの人が注目している彼女の主張を概観してみました。
まず注目の記事となった「新政権に何を期待するか?」では、藤原正彦氏(著書『国家の品格』では「民主主義」や「市場原理」を罵倒して「武士道」を賞賛)を引きながら、このように述べてます。
真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。
ちょっと真意がわかりにくいので、さっそく
自分自身は命を捧げないことが分かるように、使役動詞を使って主張して欲しい
という提案も出されていますね。僕もそのほうが稲田議員の真意が伝わりやすいと思います。また、この id:opemu さんも引用されてますが、産経新聞の6月3日に掲載の「首相の靖国参拝は安全保障問題」では
国のために命を捧げた人々が感謝も敬意も払われず、まるで犬死にのように扱われ、または忘れ去られるようでは、一体誰が国のために血を流して戦うのかという問題なのである。
(中略)
小泉首相は就任以来、毎年欠かさず靖国神社に参拝してきた。これは総理個人の内心がどうであれ、他国の侵略に対してわが国は、血を流してでも守る覚悟であることを内外に表明することである。
首相が靖国に参拝することの意味は「不戦の誓い」だけではない。「他国の侵略には屈しない」「祖国が危機に直面すれば後に続く」という意思の表明であり、日本が本当の意味での国であることの表明なのである。
やたらと「流血」のイメージを強調されていますが、どうも血を見ると興奮するとか、そういう何か流血好きな方なのかな、とも思えてくるのですが、どうなのでしょうか。
稲田議員は、昨年の郵政選挙でいわゆる「刺客」として立候補、初当選なさいました。そして、このとき初当選した議員の半数が参加している「伝統と創造の会」を旗揚げ、会長をつとめておいでです。ご自身のサイトに資料がいろいろありますので、そこからいくつかピックアップしてみます。
まず、8月15日 「第二十回戦没者追悼中央国民集会」での「伝統と創造の会 八・一五 アピール」から。
国家の代表たる首相の靖国参拝を阻止しようという忘恩の徒や、靖国神社に代わる国家追悼施設なるものを建築し、硬直化した国家財政をさらに圧迫しようとする勢力に、道徳や教育改革、さらには財政再建を唱える資格はありません。
首相の靖国神社参拝に反対する人は教育や財政に口出ししてはいけない、という大変ユニークかつ明快な主張ですね。
もちろん教育改革にも熱心ですから「伝統と創造の会」では「教育基本法改正に対する要望書」を出しています。
教育基本法改正にあたっては次の点が条項に反映されるよう要望する。
このうち、三の「不当な支配」を削除することの意味がよくわからない、という方にはこちらのエントリを強くオススメします。稲田議員の主張がよく理解できるかと思います。
こういう活動で仲間と親睦を深めるには、やっぱり一緒に歌でも歌うのが一番、というわけで、
八月二日夜、自民党の若手議員の「軍歌をうたいつぐ会」が企画されました。案内状に「8月15日靖国神社参拝後の唱和のための軍歌演習を兼ねた暑気払いです」。
という催しも。
ところで、この会は平成18年2月10日に発足なのですが、設立趣意書にはわざわざ「正式設立日:平成18年2月11日建国記念日」と書いてあります。建国記念の日、というのは
建国記念の日 - Wikipedia
にも書かれているように、もともとは紀元節、すなわち神武天皇即位の日として祝日になっていた日であることは、日本人なら当然みなさんご存知のことと思われます。ですからおそらく、そのような日に正式設立となさったことにも、深い意味が込められているのではないかと推察いたします。たまたま祝日だったわけではありますまい。なぜなら「伝統と創造の会設立総会会長(稲田朋美)挨拶」の中で、
最後に私はこの日本という国を信じています。「日本人の心」を信じています。 戦後のたった60年で、2000年以上つちかってきた「日本人の心」「日本の精神」が 失われてしまうはずはないと確信しているからです。
と、日本国の歴史は2000年以上と固く信じておられるご様子だからです。
昨年初当選した若手議員はたくさんおられますが、こうした突出した主張を展開なさっている稲田議員からは、ますます目が放せなくなりそうです。安倍政権誕生後の動向が注目されます。