裁判員制度が始まっても事件報道は大して変わらないみたいですね
全く、とまでは言いませんけど。この事件の報道(強調は引用者)。
それと前後するように、高窪さんは自分の研究室の学生らに「(山本容疑者が)来たら教えてくれ」と伝えていた。約8カ月後、山本容疑者は凶行に走った。「今は話したくない」。山本容疑者は容疑を認めながら、動機については口を閉ざしている。
これって「犯人視」そのものじゃないの?ええと、日本新聞協会の指針ではこうなっていたのだけど…
▽捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する。
▽被疑者の対人関係や成育歴等のプロフィルは、当該事件の本質や背景を理解するうえで必要な範囲内で報じる。前科・前歴については、これまで同様、慎重に取り扱う。
▽事件に関する識者のコメントや分析は、被疑者が犯人であるとの印象を読者・視聴者に植え付けることのないよう十分留意する。
たまたま産経新聞が「山本容疑者は凶行に走った」と断定調で書いたので最初に取り上げたけど、他の新聞やテレビもそれほど大きくは違わないと思います。「対人関係や成育歴等のプロフィル」について、たとえば朝日新聞。
仕事の内容は、窯から出たパンを取り上げて鉄板を元に戻す作業。口数が少なく、仕事が終わっても同僚たちと食事に行ったりせずに、1人ですぐに帰っていったという。
仲間の仕事が立て込んでいても手助けせず、上司に注意されたことがあった。「自分の持ち場はしっかりやっています」と結局手伝おうとしなかったという。
「背景の理解」につながると考えるのはわからないではないけど、やはりどこか一方的になっていやしないかと思ってしまいます。
しかし新聞でこの調子なら、ワイドショーでも当分はこの事件について、あい変わらずロクに知りもしない素人が勝手な憶測をベラベラ喋っては許せないとか怖いとか言いあうことになるんですかねぇ…。どうやって「被疑者が犯人であるとの印象を読者・視聴者に植え付けることのないよう」にするつもりなんだか…。