メディア芸術総合センターについて思うところを
言いたいことがありすぎて超長くなってしまいました…。要旨としては、「メディア芸術総合センターの理念にはとても強く賛同するし是非必要だと思うけど、今回の補正予算の中で出てきた案は問題が多すぎで全く支持できない。一旦白紙に戻してじっくり考えなおすべき」といったところです。
ズレた批判
アニメやマンガなどを展示する国の施設として、09年度補正予算案に117億円の設立費用が盛り込まれている「国立メディア芸術総合センター(仮称)」について、漫画家の石坂啓さんが「国費を使って額縁に原画を飾っても、ありがたがって見に来るマンガ好きはいない。恥ずかしいので私の作品は並べていただきたくない」と痛烈に批判した。
同センターを「国営マンガ喫茶」と批判している民主党が26日に開いた勉強会で発言した。「世界の若者に我が国のメディア芸術の魅力を発信する拠点となる」と説明する文化庁職員を前に、石坂さんは「お上に『よろしい』と言われて喜ぶより、そういうものをちゃかしたり風刺した作品を見せるのがマンガの精神」と指摘。99年の文化庁メディア芸術祭でマンガ部門大賞を受賞した作品も、「賞金50万円と賞状を返すから展示しないで」と訴えた。
民主党の勉強会に呼ばれたとのことですが、この批判はおかしいと思います。
まず「額縁に原画を飾っても、ありがたがって見に来るマンガ好きはいない。」とのことですが、そんなことはありません。すでに10年以上前、東京都現代美術館で『マンガの時代』という展覧会がありましたが、ちゃんと見に来る人は沢山いました。また同館はアニメーション関係の展覧会も多いですが、2007年の「ジブリの絵職人 男鹿和雄展」では30万人に迫る入場者数を記録したそうです。また「額縁に原画」ではありませんが、昨年夏に上野の森美術館で開催された『井上雅彦 最後のマンガ展』では10万人を超える入場者があり、熊本市現代美術館でも開催されています。端的に言って、マンガやアニメの展覧会は人が入る、というのが事実です。
また別の記事では「喜ぶ漫画家はいない」という発言が出ていますが、この事業を評価する漫画家は実際にいます。例えば里中満智子は
センターは決して「マンガ図書館」でも「国立アニメ殿堂」という性格の物ではありません。
日本は外国に認めてもらわないと我が国の文化を低く見る傾向が未だにあります。いつまでもそれではいけない、国を挙げて「日本のメディア芸術はこんなにすばらしい」という事を訴えて行く為の拠点が必要です。
と期待しています。この意見に賛同するしないは別として、「喜ぶ漫画家はいない」というのは単純に間違っています。
ご自身の信条を主張されるのは結構ですが、客観的な事実は事実として押さえた上で発言していただきたいものです。特に政策に関わる議論の場では。
それから、民主党の鳩山代表が「国立の漫画喫茶だ」と発言していましたが、これもハッキリ言ってズレまくった批判というしかありません。文化庁の「メディア芸術の国際的な拠点の整備について」とか全然読んでないでしょ?そんな批判は、単なるサブカル嫌いの思いこみでしかないですね。
「メディア芸術」
ところで僕は、文化庁のいう「メディア芸術」という枠組みはハッキリ言って違和感ありまくりです。この枠組みは、文化芸術振興基本法において、「芸術」とは別枠で規定されているものです。
(芸術の振興)
第八条 国は,文学,音楽,美術,写真,演劇,舞踊その他の芸術(次条に規定するメディア芸術を除く。)の振興を図るため,これらの芸術の公演,展示等への支援,芸術祭等の開催その他の必要な施策を講ずるものとする。
(メディア芸術の振興)
第九条 国は,映画,漫画,アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)の振興を図るため,メディア芸術の製作,上映等への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。
ここで明示的に漫画やアニメーションを含めることで、これらの振興をする上で「そんなもの芸術じゃない」みたいに言われないように根拠にすることができるんだろうと思いますし、それはいいんです。違和感があるのは「コンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」として、実際の文化庁のメディア芸術祭などでは、いわゆる「メディア・アート」が含まれていることです。歴史的文脈からしても、受容者層からしても、第8条の「その他の芸術」に含まれると考えたほうが現実に合っていると思うんですが、なぜか漫画やアニメやゲームと一緒になっている。振興するのは大変結構なんですが、この組合せかた、僕にはメディア・アートと漫画・アニメ・ゲームが互いに互いをアリバイにするような不健全な構造になってやしないかという気がどうしてもするのです。つまり、サブカルと比較して正統的な芸術をバックグラウンドに持つメディア・アートがサブカルの権威づけに使われ、ポピュラリティのあるサブカルが、はっきり言ってマイナーなジャンルであるメディア・アートの社会的意義づけに使われているように見えてしまうわけです。まあ、僕の穿ちすぎかもしれませんが、どっちにしろこの組合せは非常に落ち着きが悪い。ただ、この点だけひとまず於くとすれば、基本的には「国際的な拠点の整備」そのものは是非やるべき事業だと考えています。
公的な振興ということ
公的な援助を受けるような文化はもう死んでいる、というような言説がありますが、僕はこれは違うと思っています。産業として成立しないが僕たちの社会が消さずに残していくべきだと考えたとき、それは公的な保護の対象となるでしょう。でも公的な補助を受けたからといってその分野がダメになるわけではありません。思いこみをしている人が非常に多いと感じるのですが、現に、国や自治体が振興策の対象としているのは伝統芸能だけではないのです。現代的なパフォーミングアーツや現代美術などいわゆるハイ・カルチャーにおいては、様々な分野に公的な助成は行なわれています。そもそも美術館なんていうのは、(これも誤解してる人が多いのですが)たとえ何十万人も集客したところで、入場料収入だけで経営できるようなものではないのですが、だからといって美術がもはや過去の文化だということではないはずです。公共図書館は公的な資金で運営されていますが、だからといって本が過去のものだというわけではありません。
また、国の文化戦略として今現在の活きのいい文化をバックアップするというのは賢いやりかただと思います。20世紀のアメリカの抽象表現主義だって CIA の支援を受けていましたからね。それから、国が価値の序列をつけるのはおかしいというなら、美術館が作品を購入することもできなくなってしまいます。国宝や重要文化財の指定も序列づけですが、文化財保護のためにはそれなりに有効に機能していると思います。それに、メディア芸術祭の過去の受賞作品を見てください。異論は当然あるだろうと思いますが、僕はこれはそれほどダメではない、結構いい線いってると思いますよ。
歴史をつくる
今、あきらかに日本のアニメや漫画、ゲームは世界的に知名度が高まっています。こういうときに、その文化にそれなりの歴史的文脈があることを示すのは、とても重要なことだと思います。僕はこう書きながら MoMA の展示の話を思い出しているのですが、MoMA はフランスの印象派絵画から戦後アメリカの抽象表現主義絵画までをクロノロジカルに接続して展示することで、その展示にアメリカ美術の歴史とルーツ、そしてその正統性を語らせました。つまり、19世紀末から起きたモダンアートが、戦後その中心をパリからニューヨークへと移していった、というストーリーを展示によって表現したのです。
正直に言うと、例えば現代の漫画が鳥獣戯画と繋がっているなんていうのはファンタジーに過ぎないと思っています。ですが、そうだとしても歴史的文脈を作り、それをある場において表現し、「これが漫画の歴史だ」と言い張ることが大事なのです。それが間違っているなら、別の場所で対抗言論なり、それに抵抗する展示なりが現れるでしょう。それでいいのです。そのようにして様々に語られることこそが大事なのであって、国が序列をつけるのはおかしいなどと言って歴史を作ることから逃げていては、これほどまでに栄えている文化が、歴史の中で宙吊りになったままになるでしょう。きちんと歴史的に位置付けてやることは、アニメ、漫画、ゲームなどの世界的発信源である日本の義務であるとさえ思います。
アーカイブ
漫画なら国立国会図書館が収集しているではないか、という意見もあると思います。しかし図書館は図書館です。メディア芸術総合センターは、どちらかというと美術館的な性格を持つべきだと思うのですが、その意味は上で述べたような「展示によって語る」必要性があると思うからです。図書館は、網羅的な収集をその旨とするでしょうが、美術館はただ集めて残すだけでなく、価値を作り、価値を認知する場でもあります。
と同時に、極めて重要で、かつ図書館とは別に行うべきだと思うのは、アーカイブです。刊本や市販DVDを集めるだけではダメです。歴史的資料の収集と保存こそ、最も力を入れなければならないと思います。イメージとしては、文学館に詩人の自筆原稿や写真、書簡が収集されているようなものを思いうかべて下さい。たとえば今おそらく、さまざまなアイデアスケッチや下書き的なもの、メモ、そういうものがどんどん失われていっているのではないでしょうか。ゲームなら、例えば遠藤雅伸の「ゼビウス軍兵器開発史メモ」のようなものは、世の中にたくさんあるはずですが、今このときにも消えつつあるのではないでしょうか。そういう資料をきちんと収集し、将来の研究に役立てることができるようにしてく。こういうことは、個別の研究者だけではなかなかできません。ある程度安定的な活動のできる拠点が是非とも必要なのです。
産業従事者の支援
拠点を作るよりアニメーターやゲームプログラマーといった人達を支援するべき、という話がありますが、必要なのであれば、またうまくやれるのであれば、2択じゃなく両方やればいいと思います。
問題点
以上のように、僕は拠点を作ること自体は賛成です。しかし今回の補正予算での案はまったくいただけません。
設置場所
報告書では
詳細については、交通の利便性、将来的な地域の発展可能性、用地確保の可能性、自然景観等を総合的に勘案して検討がなされるべきである。東京臨海副都心(お台場)は、好適地の一つであると考えられる。
とされていますが、お台場が交通の利便性から見て良いとは全然思いません。それに、大事なことが一つ抜けています。地域の歴史的・文化的文脈です。何の脈絡もないところに唐突に施設を建設するところが、「ハコモノ行政」として非難される原因の一旦であると僕は思っています。なんでこんな所にこんな物を?というのがあまりに多すぎる。地域のコンテクストとしっかり組み合わさってこそ、国際的な拠点としてその地域に人を呼ぶこともやりやすいし、地域と密接に関わりながら活き活きとした活動ができると思います。それから、新しい建物を作るのを前提にするのではなく、既存の建物を活用することを考えるべきです。例えば京都国際マンガミュージアムは、もと小学校だった建物をうまく活用しています。
また、人材育成といった観点からも、場所の選択は重要です。東京国立博物館や国立西洋美術館、東京文化会館などが集まる上野に東京芸術大学があるのは、偶然ではないのです。
入場者数目標
平成20年度の第12回メディア芸術祭には、1日あたり約5,000人が来場(11日間の開催期間で、計約55,000人が来場。)したところである。メディア芸術拠点の1日あたりの来場者数としては、最低限、この半数程度を達成すべきである。この場合、同拠点の年間開館日数を250日間とすれば、年間目標来場者数は約60万人である。
メディア芸術祭は、新美術館で、日本画の加山又造展と同じ時期に、入場無料で開催されていました。つまり、かなりの程度「ついでに見に来た」人が含まれているだろうと予想できます。また、先に触れた井上雅彦の展覧会では45日間で10万人程度ですから、1日2,200人程度。有料にした上で、年間を平均してそれ以上の入場者があるというのは、ちょっと見込みが甘くはないでしょうか。
運営主体
国立美術館の傘下にするというのは、まあ妥当だろうと思います。しかし。
一方、メディア芸術は、これまで民間の自由な発想により発展してきたことから、メディア芸術の拠点については、民間の資源・ノウハウを活用することにより、質の高い事業の実施及び効率的な運営が可能になるものと考える。このため、メディア芸術拠点の運営は、外部委託により行われるものとすることが適当である。
…。美術館関係者が指定管理者制度などの民間委託についてどれだけ批判してきたか知らないわけでもあるまいし、よくもまあしれっと「適当である」などと。こう言わないと財務省が首を縦に振らないってことかもしれませんけどね。
何が問題かというと、一番の問題は人が育たないということ。外部に委託するということは、当然一定の期間で契約を更新するということです。学芸員は基本的にその民間の社員になるでしょうから、委託先が変われば学芸員も入れ替えになる可能性があります。そんな所で世界レベルの研究ができる高い専門性を確保できますか?研究の成果に基づいてスタッフを入れかえるということはあってもいいかもしれませんが、委託先の競争力だけで人が入れかえられては、長期的な視野に立った研究などとてもできないでしょう。最低限、学芸員は国立美術館の職員とするべきです。
運営資金
メディア芸術拠点においては、入場料のほか、刊行物や関連商品の販売、施設の貸出し、企業の協賛金あ寄付金の募集等による自己収入で、その運営に必要な財源を賄うことが適当である。
あのー、全然「適当である」の根拠が不明なんですけど。
先にも触れましたが、普通の美術館は自己収入で財源を賄うなんてことは全然できません。運営資金を公共から出さないようにしたら、国内の公立美術館はほとんどすべて消えるでしょう。こんなのあなたたち文化庁にとっては常識でしょ?これも財務省のせいかもしれませんが。自己収入だけでやっていこうとすれば、展示はとにかく大量動員のできそうな一般受けするものだけになり、収集や保存にかけられるお金はほとんどないという状態になるんじゃないですかね。とてもじゃないけど質の高い活動なんてできないと思いますね。
というわけで
メディア芸術総合センターのようなものは是非つくるべきだと思うし期待もしたいところです。しかし、今回の補正予算で出された案はダメダメなので、もう一度しっかり時間をかけて考えなおすべきです。
だいたい補正予算があるからといってハコモノを出すというのは、まったく賢くない。世間は「ドサクサにまぎれてまたハコモノか」と見るのがあたりまえです。また今、政権交替の可能性だってあるわけです。こんな風に槍玉に挙げられたら、民主党が政権をとった場合に「象徴的に」中止させられる可能性もあると思います。もしそんなことになったら、どうやって国際的な拠点という大事な構想を立て直すつもりなのでしょうか。
色々な点から、今回の案はあまりにも拙速、失敗だったと思いますが、もっと世論の後押しが貰えるような構想を、市民が納得できる形とタイミングで出してもらいたい。理念そのものは消えてほしくないと思います。