トンデモのサバイバル

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20061027/p2 で「ワシ」と名乗る南京事件否定論者(もう回心するのかな?)が盛大に恥をさらしてて笑えました。どうもちょっと否定論の本を読んだだけで南京事件を否定していたみたい。よく知らないとかちゃんと調べてないなら、早めにそう白状すればよかったのに。

それにしても、id:Apeman さんや id:bluefox014 さんがあちこちで否定論者と話しているのを見るにつけ、南京事件否定論って実に意外なほど拡がっているなーと思います。いかに学問的にはすでに終わった話で、その否定論の内容もいかにトンデモであっても、無視できないと考える人がいるのも頷けます。しかも、否定論にとくに積極的に与しない人でも「否定説もあるようで、実際のところどうなのかよくわからない」という態度の人が少なからずいるようで、これもわりに困ったことだと思います。まあ、犠牲者数などについては研究者の間でもかなりの相違があるので、それもあるんでしょうけれど。


南京事件否定論は、そういう意味で「生き残ってるトンデモ」だと思う。これに比べて例えば「月面着陸はなかった」みたいなのは、全然生き残れそうにない。「9.11は陰謀だった」なんかも、今年は何冊か本が出てビリーバーもちょっと出てきそうだけど、これもそんなに長生きできないんじゃないかな。今年の「富田メモ」は…うわ、はてブこのタグの人気エントリーを見ると上位2つが陰謀説だ。どうなんだろう、「日経オワタ\(^o^)/」と言ってた人達は今でも捏造だと思ってるんだろうか。だとすると案外生き延びるかも。

ところで、こういうトンデモがサバイバルして生き残るかどうかは、どういう違いに起因するんだろう?あるいは別の言い方をすると、「月面着陸はなかった」説や 9.11 陰謀説はほとんどの人が「バッカじゃねーの?」と一蹴できるのに、南京事件についてはそうならないのはなんでだろう。

特別な知識の必要ないツッコミ

ができるかどうか、というのがかなり大きいかな。たとえば月面着陸無かった説では、「月面に立てられたアメリカ国旗が、風もないのにはためいている」というのがあります。でも普通の人は速攻で「針金でも入れてやれば可能でしょ。はためいてる方が見栄えがいいから、わざわざそうしたんじゃない?」と考えます。その程度のことを考えに入れずに主張されてる陰謀説は、全体としても相当怪しいんじゃないか、となるわけです。あるいは 9.11 陰謀説では「火災の温度では鉄の融点に達しないので崩壊は不自然」というのがありますが、これも初めて聞いたときにはまず「なにも融点まで達さなくても熱で弱くなるんじゃないの?」と思うはず。こうして、初めてその説を目にしたときに、誰でも特別な知識を抜きにして反駁できそうなところが目立つと、その後は皆眉にしっかりツバつけて読むなり聞くなりするでしょう。場合によっては、その説に論駁するための材料が世の中にあるんじゃないかとか、その説を批判する人の言い分のほうがマトモかもしれないと思って探してみるとかするかもしれません。
またこういう部分が、結局のところ月面着陸否定論を笑ったとしても「じゃあお前は NASA の報告を自分で検証したのか?」などと言い出されない原因でもあるかと。


一方で南京事件はどうでしょうか。否定論に初めて触れた人が、特段の知識抜きに「それ変じゃない?」と言えるところはあまり無いのではないかと。「目撃者はいなかった」「報道はなかった」と言われれば、「目撃者がいた」「報道はあった」と知らなければツッコめない。また否定論は自説に不利な証拠については無視するので、それを元にした批判も知識がないとできない。基本的な歴史的知識に誤りがあっても、僕達は「そんなことも知らない」無知な連中なので、気がつかない。すると、たとえ「怪しい」と感じていたとしても、最初に「いやそこは変だろ」とハッキリ思えるところがないまま話が進んでしまうわけです。


もちろん健全な批判的精神のある人は、ここから自分なりに否定論を批判する人の書いたものを読むなりなんなりして比較するでしょうし、そうすれば比較的簡単に「否定論者は批判者にまともに答えていない」とか「否定論者より批判者のほうが断然筋が通っている」とわかるでしょう(まぁ、実際にはそうでない人も沢山いますが)。しかし最初に「おかしい!」とツッコミを入れないままだと、その次に検証してみようという動機がかなり弱くなってしまうのじゃないかと思うんですよね。
南京事件のカジュアル否定論者に、わずかな本なり何なりだけを受け売りにして、批判者がどんなこと言ってるのかほとんど知らない人が多いのには、こういう背景があるんじゃないかと推測します。

道徳優先

もう一つ、イヤな気分になる「生き延びた」トンデモに「水からの伝言」があげられましょう。ハッキリと「ニセ科学」と考える人が多い一方で、信じちゃってる人も少なくはない。テレビなんかでもときどき蒸し返されます。
これは、どう考えても誰でも簡単に「それはありえねーww」と言える類のもののはずです。それなのに何故?科学リテラシーがなさすぎるから?いや、でもこれについてはなんぼなんでも「理科的に誤り」だということは誰でもわかるはずだと思うのです。にもかかわらず受け入れられてしまうのは「道徳的に好ましい(とビリーバーが考える)」からでしょう。「ありがとう、と言うのは良いことだ」の裏付けになってくれるからでしょう。

南京事件も同様です。「日本軍の軍規は厳しかった」とかいうのはほとんど信念であって、南京事件否定論者にとって、それが道徳的に望ましいがゆえに信じられるわけでしょう。「日本人は悪魔じゃない」という気持ちはカジュアル否定な人も共有してるでしょうし。
どうも、理屈としてどうかということより「道徳的に好ましければ、真実である見込みが高い」という誤謬が広く存在しているようです。


…と、ジャンル横断的にトンデモを見ると、どんな要因でその説が生き延びていくか見えてきそうです。またもうちょっと他のアレゲな説についても、そのうち考えてみたいですね。そして生き残った説が徐々に豆知識化していくというのも、また別の面で興味深いものがあります(困ったものだとは言いながら)。