いまさら読む『市民政府論』

政府の目的は、人類の福祉にある。ところで、人民がいつも専制政治の無限界な意志にさらされているのと、もし支配者たちが、その権力行使に当たって法外なものになり、その人民たちの財産の保存ではなしに、破壊のためにそれを用いる場合には、これに抵抗してもよいというのと、どちらがいったい人類の最善の福祉にかなうだろう。(p.229)


読んでみました。あれ。ジョンのやつ。

完訳 統治二論 (岩波文庫)

完訳 統治二論 (岩波文庫)

1690年に出版されたこの本の直接の目的は、1688年の名誉革命、イギリスの議会が専制的だったジェームズ2世をフランスに追い出して、王女メアリとその夫ウィリアム3世を共同統治の王として迎えて「権利の章典」を発布、絶対王政に変わって立憲王政を確立した革命を、正当化し、合理的な根拠を与えること、にありました。


だからこの本では、政府の変更は正当な人民の権利だという結論に向かって議論が進みます。政府は、人民の同意と信託によって各人が自然に持っている権利を移譲されたのであって、その目的は人民の財産を守ることにある。政治は確定的な法によって行なわれなければならず、その法を作る立法府が最高権力である。立法府は人民の代表によって構成され、常設である必要はない。一方作られた法の執行は常に必要であるから、法を執行する組織は常設のものとなる。

政府は元来、自然状態にあっては不安定であった各人の所有を保護するために、人々が自由に自発的に同意してできたものである。生来人間は自由であって、自然状態にあっては各人が自然法に従って生きており平等だが、同時にまた各人が自分自身その法の執行者となるため、争いがあった場合には各人の間での「戦争状態」となるので、これを避けるために人間は社会を築いた。

所有権は、自然の中の果実や動物が狩猟採集によって、あるいは土地が開墾されることによって、人間が労働を加えたことによって発生する。狭くても開墾された土地は広い荒野より多くを生み出すのだから、開墾された土地を誰かが占有したとしても、かえって人類全体の富は増える。

親が子どもに対して力をもち、子が親に従わなければならないのは、子どもにまだ理解力がなく、保護を必要とするためであって、子が成人してからは、親に対する尊敬の念こそ持たなければならないけれども、親が子の財産を自由にしたりすることはできない。


…などなど、だいたいこんな話が(順序は違いますが)展開されていきます。今日の常識になっているような事柄も多いわけですが、こうして頑張って展開された議論の少なからぬ部分が実際に僕たちにとっての常識になっている、という事実に、ちょっと感動しました。300年前のジョンはここまで考えてたんだなー。すごい!すごいよジョン!

あと、仮想の反論に対して反駁をしていたり、このころ世間にあった考えを批判したりしているので、この時代の人がどんな考えを抱いていたかも間接的に見えて面白いです。


わりとキリスト教的な発想というか前提がいろいろと出てくるのだけど、面白いのは、そういうキリスト教の観念を全く受け付けない人(僕みたいな)が読んでも、ちゃんと説得的に議論が展開してるところですね。議論そのものには教義はほとんど関係がないという。だから今読んでも、言わんとするところは完全に理解できるし、説得力があります。もちろん現代の眼から見れば、いろいろな不備があることは確かですが(所有権にばかり集中しすぎ、とかね)。この本って2篇のうち後編で、前編ではフィルマーとかいう人(知らない)の族父論を批判してるんだそうです。えーと、神がアダムに子孫を支配する権力を与え、それが国王に受け継がれてきたって話。を批判してるらしいです。ちと読んでみたいです。


この手の本って、歴史の授業で習ってはいるけど実際に読むことってあんま無いですよね(そうでもない?)。文庫で安いし、250ページくらいだし、内容がとにかく平明なので、楽に読めました。ホントわかりやすい。人によっては訳文が若干古風な感じがするかもしれませんが、僕はこういう文体は結構好み、ていうかむしろ大好物なんですよね。「けだし」とかオレも使ってみたい…。ともかく、読んだこと無い人にはオススメ。案外面白いですよ。僕はなんか昔デカルトの『方法序説』を読んだときのこと思い出しました。あれも読んでみると案外面白い、ていうかキュートなんだよねー(って感想は変ですか?)。

にしても、訳者あとがきによると、この本の翻訳は戦後になるまで全くなかったんだそうです。これも以外。


さて、で、次に読みはじめてるのがジョン・スチュアートくんの『自由論 (岩波文庫)』です。これも案外イケますな…。