僕らの社会が正義の名の下に誰の命を奪うのか、法務省は公表するべき


先日、3人に対して死刑が執行されました。

私たちはこの執行に対して強く抗議します。今回の執行も国会休会中に行われ、国会における議論を避けたと思われます。また、内閣改造が27日に控えているとも聞いています。さらに、法務省自身が死刑執行は慎重な判断が必要と言っているにもかかわらず、今年4月の執行以来、わずか4カ月をおいての執行という早急なものでした。今回の死刑の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、突然に行われました。


法務省は死刑執行に関しては詳細を発表しません。誰が処刑されたかは、あくまで非公式に関係者によってもたらされる情報です。事前には誰にも知らされていません。


なぜ隠すのでしょうか。
もし「凶悪な犯罪だから死刑は当然である」と考えるなら、法務省は事前に氏名を発表すればよい。というかむしろ、するべきだ。このような秘密主義では、行政が適切に行なわれていることを国民は知ることができません。この点からすれば、死刑の存置に賛成であろうと反対であろうと、法務省にきちんとした情報開示を求めるべきなのではないでしょうか。


あるいはまた、死刑廃止の主張を批判する人々からは、死刑は当然である、法務大臣は粛々と執行すべし、執行に抗議するのは筋違い、などといった声が聞こえてきます。人によっては、死刑囚の食費がもったいないから早く殺せ、などという人までいる。なるほどあなたたちは、死刑の執行は正義の実現だとお考えのようです。
それが正義の実現ならば、なぜ隠すのか。


僕は死刑は廃止したほうが良いと思っています。法的に廃止できないのなら、事実上の廃止を目指すべきだと思っています。それもできないなら、執行はなるべく抑制的に慎重に行なわれるべきだと思っています。
執行が避けられないのなら、死刑の執行に際しては、被害者や死刑囚の家族やマスコミに対して、事前に公表するべきだと思います。仮にそれが正義だとしても、僕らの社会が社会として、犯罪者とはいえ人間の命を奪うのです。彼らには名前があるのです。名前のない家畜や野生動物を殺すのとは全然違うのです。僕たちの社会は、そのことにきちんと向きあうべきだと思います。そのためには、「関係者の話によると」などといった非公式な形ではなく、法務省の公式発表として、かつ事後でなく事前に公表するべきです。この国が法に基づいて「公式に」処刑するのだから、関係する全ての情報は「公式に」発表されなければならないと思います。


あるいは法務省は、死刑をめぐる激しい議論が起こることを恐れているのかもしれません。しかし国民に対して「君達は論議するな」という資格は、政府には無いはずです。

国際連合でも死刑廃止論議が今秋、活発化することが予想されます。来る10月、世界規模で死刑の執行停止を求める決議が国連総会に提出される予定です。死刑制度を廃止する国が増え、死刑執行数や死刑判決数が減少している世界的な傾向から考えて、この決議が採択される見通しは明るいとアムネスティは考えています。

何度でも、機会のあるごとに死刑を巡る議論が交されればと思います。