世の中は時間をかけて変わっていくよ


増田から。

ネット時代になって地域・所得・国籍・社会的立場に左右されずにいろんな人々が自分の意見を言えるようになった。

しかし、相変わらずネットを使いこなせない人やネットと無縁な人も相当数おり、彼らは身内のコミュニティで共有される情報と既存マスコミの垂れ流す情報を元に行動する。インターネットを駆使する人間が思うほど世の中が変わったとは思えない。

知的レベルの相当高い人が書く日記を見ていると、世の中がこの通りになればいいのにと思う時がよくある。

僕は読んでて「世の中がこの通りになればいいのに」と思えるような「知的レベルの相当高い人が書く日記」というのは、残念ながら一度もお目にかかったことがないんですけどね。社会の変化に対する希望に共感することはもちろんあるけど、「この通りになればいいのに」っていうのはたぶん、ちょっと違う話ですよね。
それはともかく、まあそんなに世の中ホイホイ変わったりしない、というのは当然だと思います。だって、インターネットなんて、商業利用が始まったのが1995年でしょ。まだちょっとしか経ってないじゃないですか。バブル経済よりも後の話だもの。たったそれだけの期間で、そんな急激に世の中が変わったりしたら、そのほうが困りそうな気がします。あとタイトルになってるような「言葉で変わるかどうか」というのは、たぶん問題の設定が間違ってるんじゃないかしらん。


でもこういう不満(?)が出てくる背景には「情報技術で社会が変わる」という話とか、その手の話に対する期待みたいなものがあるわけですよね。ネットで社会が変わるとか、ライフスタイルが変わるとか、個人が変わるとか。こういうのって何度も繰り返されてきたことなので、ちょっと前に Web2.0 でナントカが変わる、みたいな話が流行ったときには、「まーたそれですか」と思ったものです。
いや、変わらないと言いたいんじゃないです。むしろ確かに変わるだろうし、変わってきていると思ってます。問題は、程度や範囲です。そんなに喧伝されるほど劇的で急激な変化がある/あったとは思ってません。


ネット以前を考えてみても、マクルーハンとか、ボードリヤールとか、20世紀を通じていろんな人がメディアによる社会の変化を言ってました。もっと遡ってベンヤミンとかね。複製技術によって大衆社会のあり方が変わるんじゃないかって。みんながより気軽に表現できるようになるんじゃないかって話がいつも出てきてた。ネット以前からそういう期待はあるんですよね。エンツェンスベルガーは1960年代に、ビデオカメラが体制に抵抗する市民的表現の道具になりうる、みたいなことを言ってたし、ベンヤミンは1930年代に、複製される映像によって、大衆による自己表現の可能性が増したって言ってた*1。インターネットが出てきたころも、なんか似たようなことを沢山の人達が言ってた。


確かに何か変わってきたような気もするけど、じゃあ社会のシステムの大きな枠組み、たとえば政治や法や経済のシステムそのものが、電話とかテレビとかネットとかで変わったかっていうと、ちょっとそうは思えない。生活習慣は変わったかもしれないけど、本を読んだりテレビを見たりする時間がネットに変わった程度、という気もする。携帯電話で待合せの方法は変わったけど、初デートの重要性はそんなに変わってない。


これまでの情報技術だってそんなに大規模に社会を変革したとは言えなさそうなのに、どうして「ITが社会を変える」みたいな話が尽きないのか。実は、近代産業社会に住む僕達が、そういう物語を「聞きたいから」じゃないかっていう話があります。

これまで「情報化社会」について膨大な言葉が語られてきた。そして、これからみるように、そのほとんどが実は神話にすぎない。つまり誤っているか、論拠がきちんと説明されていないか、どちらかである。その意味ではむしろ、情報化社会とはなにか、わからない方が正しい。
にもかかわらず、なぜ人々は「情報化社会」にこれほど心魅かれるのだろうか。――それは、「情報化社会」が私たち自身の夢だからである。「情報化社会」というのは、私たちが行きているこの社会、近代産業社会が夢見ている夢なのだ。(pp.24-25)


この本は1996年のもので、インターネットの状況はこの頃から相当変わってきてはいるけど、まだまだ読む価値はあると思います。「情報化社会」という夢が、どのように「ゼロ記号」として機能しているのか…これは今でも意識しておいていい問題だと思います。


僕自身は、長期的に見れば、確かに情報技術が世界を変えたと言えるような時代が来るのだろうとは思っています。技術の使い方は社会が選ぶ、とこの本で言われてることも正しいと思いますが、技術の使い道には一定の方向性があるわけですし。印刷術が宗教改革を加速し、科学革命を容易にし、そしてその長い長いリーチが今の僕達の社会につながっているように、長い時間をかけて社会は変わっていくことでしょう。印刷術が社会に選ばれたように、今の情報技術も社会に選ばれていくだろうと思います。その後の長い変化の中では、どんな使われかたをするかは結局は社会が選んでいくのでしょうが、それが果す役割そのものは決して小さくはないでしょう。10年やそこらで世の中が変わらないからって、この先もずっと変わらないわけじゃないと思いますよ。人類がここまで来るのにかかった時間を考えれば、そんなの一瞬でしかないですから。

*1:ベンヤミンは単純に礼賛してたわけではないと思うけど