岡倉天心『茶の本』から


天心の『茶の本』といえば、日本文化について英語で書かれた著作として知られていますが、先日たまたまパラパラめくってたら、最初のほうにこんなくだりがありました。すっかり忘れてたのですが、ちょっと面白いと思ったのでご紹介。

おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っていることであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。


別に西洋人を非難するのがこの文の目的なのじゃなくて、ここからお互いよく理解しあおうというような話をするわけですが(わざわざ西洋人に向かって茶のことを書いているわけですし)。ちなみに新渡戸の『武士道』は1900年の刊行ですね。


いやなんというか、天心は色々な面があって評価もアンビバレントなところがあるし、単純に持ち上げるつもりは全然ないのですが、1906年日露戦争の直後−にこういう文章を英語で書いてたのかぁー、と。