正義のない戦争に協力するのはやめて、自衛隊員を家族のもとに帰そう
先日の名古屋高裁によるイラクでの空自の活動についての違憲の判断について、「傍論だから」などと必死でその価値を低く見ようとする人がいますが、Apeman さんのとこのコメント欄に非常に参考になる議論がありました。yubiwa_2007 さんの発言から抜粋します。
けれども、この傍論であっても現実には後の判決に対する影響を事実上持つものが少なくなく、学者・実務家も(最高裁ですら)「傍論であるものの」と言いながら、判例として扱うこともよくあるわけです。だいたい、「傍論には先例としての拘束力がない」と解説している憲法の教科書が別のページでは傍論を判例として扱っていたりもするわけです。
(中略)
これらが傍論どころか括弧書きの中で「なお念のため……」と述べられたに過ぎないものであるにもかかわらず、後の判決に大きな影響を与えていて、少なくとも事実上は判例として扱われていることは疑いありません。(さらに言えば、下級審の裁判例であっても無視しがたい流れを作ることもよくあるわけです。)
arrackさんも仰るように、「もしそういう問題になったらこういう判断しますよ」ということが示されたわけですから、それを無視して判決を書いても覆される結果が見えるというのが、傍論を無視できず事実上は判例として扱わざるを得ないことの根拠になるでしょう。
その点で、判決文中の「判決理由」と「傍論」をことさら区別することに実益などほとんどないと言って良いのです。
また、判決を批判する人々について、僕は青龍さんと同じ感想を持っています。
今回の判決を批判する人たちは、明白な違憲・違法状態が続くことの問題性をどのように考えているのだろうか。
私には、名古屋高裁の正論が気にくわないが面と向かって憲法判断を非難するほどの破廉恥さを有していない人々が、傍論での憲法判断という点を取り上げて批判しているようにしか思えないのだ。
さて、イラク戦争そのものについては、「正義の戦争」などとはとうてい呼べないということは、もはや誰もが同意するところでしょう。その認識が明らかだからこそ、僕たちは例えばマイク・グラベルの大胆な発言に喝采を送るわけです。
まあ、まず第一に理解しなきゃならんのは、ジョージ・ブッシュが詐欺的な基準に基づいてイラクに侵攻した時点でこの戦争は敗北していたということですな。それを理解しないといけません。
また、戦争の状況はまさに泥沼であり、大変な損失を出しつづけているということについても異論はないでしょう。治安状況は回復と悪化の繰り返しで、最悪だった時期よりはマシになってきましたが、出口が見えないことに変わりはありません。
暗いニュースリンク: イラク戦争:数字で見る最新情勢
解説委員室ブログ:NHKブログ | 土曜解説 「イラク戦争5年と米大統領選」
一体なぜ、こんな戦争に、憲法に違反してまで、さらに派遣の直接の根拠となっているイラク特措法にさえも違反してまで協力しなければならないのでしょうか。
当時の小泉首相の無茶苦茶な屁理屈によって決まったこの派遣は、他国の武力行使と一体となるものではないこと、活動は非戦闘地域に限ること、と決めていたはずです。それがなぜ、他国の兵士を戦闘地域に空輸するなどという任務をさせてしまったのか。これは、当初の前提や条件が、そもそも現実味のない空論、詭弁にすぎなかったことの帰結ではないでしょうか。
日本は武力も含めた国際貢献をするべきだ、という意見を持っている人にだって、アメリカの失政としか言いようのないこのイラク戦争に協力することが、望ましい「国際貢献」だとは思わないという人も多いことでしょう。
名古屋高裁の判決が指摘するように、バグダッドは明らかに戦闘地域ですし、空輸に携わる隊員の中には任務のたびに遺書を書いている人さえいると報じられています。僕たちは、隊員たちにその命をかけさせているのです。隊員たちは、家族に向かって「日本のために」イラクに行くと言っていると聞きます。彼らは、我々国民を信頼しているからこそ「日本のために」と言ってくれるのでしょう。それなのに、ほとんど誰も正義があるなどとは思っていない任務のために命をかけさせるなんて、隊員たちに対する裏切り行為以外の何だというのでしょうか。
アメリカに追随するのが日本の国益だから?しかし、正しくないとわかっていながら隊員の命をかけさせなければならない国益などに、隊員たちを裏切りつづけなければ実現できない国益などに、一体どんな価値があるというのでしょうか。
イラクの治安回復は、このままではいつ実現できるかわかりません。イラク国内の持続的な安定のためには、米軍による占領などとは違った枠組みが必要なはずです。その新しい取り組みが実現するならば、日本がどう協力していくかは改めて議論のあるべきところと思います。しかし今は、一刻も早くこの戦争への協力をやめるべきです。
またアメリカとの関係で言えば、未来永劫にわたって日本がアメリカの顔色をうかがい、追従しつづけるべきだとは誰も思っていないはずです。アメリカ追従からどうやって脱却するべきか、その方法については(憲法改正など、僕には同意できないものも含めて)様々な考えかたがあるでしょう。こうした問題の解決にはしっかりと時間をかけた熟議が必要です。そしてそれまでの間、アメリカとの関係を安定的な形で保つために色々な妥協も必要かもしれません。
しかし「妥協」にも一定の限度があるはずです。「人道復興支援」などとは名ばかりの戦争協力を、我が国の自衛隊員に命懸けでやらせるなどというのは、僕には限度をはるかに越えたものとしか思えません。
政府は空自の活動についてできるだけ話題にしたくないようです。高村外相なども、高裁の判決を「暇になったら読む」などと言って、できるだけその違法性から目をそむけようとしているようです。もしかしたら日本人の中には、日本が戦争に協力している真っ最中だという認識をほとんど持っていない人だっているかもしれません。
だからこそ、改めて空自の活動の問題点を指摘し、政府の詭弁と欺瞞を明らかにした名古屋高裁の判決は貴重なものだと思います。僕たちは、アメリカの身勝手で始まった戦争に協力するのはもうやめて、自衛隊員たちの国民への信頼に対して誠実に応えるべきだと思います。