事業仕分けの感想


今日で最終日となった行政刷新会議事業仕分けですが、いくつか感想を。

基本的には評価します

公開の場で予算の無駄を洗い出す作業、というのはやはり画期的なことだと思います。天下り団体などについても、どこにどんなものがあるのか、かなり具体的なイメージがつかめたように思いますし。関係者からも、批判を含めいろいろな意見が出てきましたから、しっかり国民的な議論を深めるという意味では相当な前進だと思います。

マスコミの伝えかた

「○○は見直し」「××大幅縮減」「△事業を廃止」などの見出しや、短い新聞記事などでは、どうしても結論にばかり目がいきがちです。しかし実際の議論や資料を見てみれば、「縮減」といってもその事業が重要でないから、というよりも、非効率な予算の使い方が指摘されていることが多いように思います。科学未来館などが典型だと思いますが、不必要に財団が挟まってるからそこは削れるよね、というような話が単に「縮減」と伝えられてしまう。もしこの調子で予算編成の際に結論だけ一人歩きするようなことがあれば、かなり悲惨な事態になることは間違いないと思うので、そのあたりは慎重に見ておかなければならないと思います。

結論の出しかた

しかし、そういう風に伝えられてしまうのは、テレビなどでも何度も写されてたあのホワイトボードに次々書きだされていく「縮減」「廃止」の文字がもつインパクトゆえでしょう。「見直し」といったときにどこを見直すのか、「縮減」といったときにどこを縮減するのか、そういう本当に大事な議論の部分がブッとんでしまう。私はあれはインパクトだけはあるけど、あまりよろしくないと思います。

と同時に、「事業のあり方を見直すべき」とか「戦略を再構築するべき」といった指摘が一番重要と思われるような案件で、なぜ「予算縮減」という結論を出す必要があるのか。これはかなり疑問です。効果がわかりづらいとか、検証が不足しているとかいう指摘はもっともな場合もありますが、なんで縮減する必要があるの?足りないところをしっかりやらせれば済む話ではないの?という疑問は拭えません。

個別の事業より、単年度の縛りを見直してくれ

いくつか指摘されているのを見ましたが、実際の現場では例えば「年度内に使いきらなきゃ」というような話はゴロゴロしてるわけですよね。皆それなりに無駄にならないように知恵をしぼっているものと思いますが、それでもこういう単年度の縛りが無駄の温床となり、効率的な予算の使い方の妨げになっていることは多くの人が認めるところだと思います。

今年予算を余らせると、来年は減っちゃうから。これ常識。誰もがおかしいと思いつつも、これが常識になっちゃってるわけですよ。それで結局、使うほうにしかインセンティブが働いていないわけです。こういう制度設計を本気でどうにかしないと、いつまでたっても「呼び出して小突きまわす」方法だけが無駄を削る手法になってしまう。それは不幸だ。

また、これが「今年はちょっとグダグダになっちゃってて、立て直ししなくちゃいけないんだけど、その間もとりあえず理屈をつけて予算消化しとかないと後で復活とかできないから、ムリヤリでも大丈夫だって言っとかないと」みたいなことに繋がるわけでしょう?スパコンって、要はそういう話だと思うんですけどね。

「とりあえず予算取っとけ」なんてしなくても、本当に必要なときにはちゃんと金は出る、そう皆が信じられるだけで全然違うと思うよ。

官僚が説明責任を負うのは変

だってさー、政府の事業は政治が作ってきたことでしょう?少なくともタテマエは。そんで何とか審議会とかやってきたわけじゃん。予算だって国会で通してきたわけじゃん。だから形式的には政治の側に説明責任があるんじゃないの?確かにとりまとめて実施してるのは官僚で、彼らが「要求」してくるわけだから説明を求めるのはわからないじゃないんだけど、根本的にはその構図はおかしいと思う。

今までの予算折衝だって、事業をやってる現場が予算ほしいってことで所管の省庁に出して、そこが財務省と折衝してたわけですけど。でも官僚たちいくら東大出で頭よくて超働いてて勉強してるっていってもさ、やっぱり素人なんですよ彼ら。専門家では全然ないのよ。人事移動でコロコロ担当変わっちゃうし。だから無責任になるってケースもよくあるし。だから、どうしたって現場の切実さとか、その事業の本当の本当に重要な価値とか、ハラの底から理解してるわけじゃないのよね。そういう仕組みじゃないんだもの。

これまでもそうやって素人が素人に説明して予算折衝してたわけだけど、せっかく政治主導で公開でやるんだったら、もっと現場の声を聞いたらいいと思う。正直、現場の人達は、自分達のところに天下り法人が途中に挟まってるのを苦々しく思ってるハズ。現場の人と協力したほうが、もっと良い結論が出せると思う。セレモニー的な「視察」じゃなくて、予算絡みのもっとナマナマしい議論を政治家と各分野の専門家がやりあったらいいんじゃないかなー。大変だと思うけど、そのほうが健全じゃない?



もし来年もやるんだったら、こういう点が改善されるといいなーと思うのでした。

事業仕分けは詳細な議事録を作成するべき


この種の議論が公開されたことは非常に高く評価しています。結論についても、首肯できるものもある。マスコミの伝えかたの問題と、あとは事業を選ぶよりも予算を効率的に使うインセンティブの設計をやらんと本質的には変わらないだろうな、というのがとりあえずの感想。


が、それはそれとして。いくつか音声だけ議論を聴いたのだけど、ひでえな、という発言がかなりある。行政刷新会議は是非詳細な議事録を作成してもらいたいです。誰がどんな発言をしたのか、きちんと記録を作って全て公開し、それによって仕分け人一人一人の発言もまた国民の評価を受けるべきだと思います。忘れないからね。

ルールはルールだから教


どーもこーいう話にはカッチーンときてしまう。

はてなブックマーク - 玻南ちゃんダメ?…名前受理されず、最高裁へ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


子が無戸籍状態になってしまっているのを「親の我侭のせい」というその発想。これがムカついてしょうがない。なんで市民の側だけに責任を押し付けるんだよ。100歩譲っても半分は行政/司法の責任でしょうが。戸籍名はカナ書きにしとけばいいとか、別の名前にすればいいとか、そんなことはわかっててやってるんだろうよ。私にはその拘りそのものに直接共感できるわけではないけれど。でもそこで「子どものためには親が譲歩するべき」って、どうして自動的にそうなるんだ?なんで「子どものためには行政/司法が譲歩するべき」ってならないの?本来、もっと柔軟に対応できるのに、市民の幸福を無視してナンセンスな決まり事に拘ってるわけですよ。

 これ以外の文字でも常用平易と認められれば、家裁が出生届の受理を命じることが出来るため、両親は名古屋家裁に審判の申し立てを行ったが、1月に却下。即時抗告した両親は「玻を知らなくても、波や破などから類推して読むことは容易で、パソコンや携帯電話で容易に漢字変換できる。インターネットで検索すると、使用可能な漢字のヒット件数と比べ、玻の件数は上位に入る」と主張した。

 しかし同高裁は10月27日、「玻が名前として使われているのは、芸名やペンネームなどの例に過ぎず、新聞などで多用されているとは認められない」と指摘し、「明らかに常用平易と認められない以上、戸籍上で使えないことはやむを得ない」と判断した。


過去には認められた例だってある。

 過去には、家裁が人名漢字になかった「琉」「曽」の字の受理を役所に命じたこともある。夫婦は「玻」が地名や名字にも使われていること、画数も少ないこと、「玻璃」(水晶、ガラス)として児童書などにも使われていることも調べて証拠提出したが、名古屋家裁、高裁とも主張を認めなかった。


ルールだから従うしかない?この両親だってルールに従って異議申立てしてるのですよ?既存のルールに文句一つ言わずにただただ従うのが市民の正しい生き方と思うなら、選挙にだって行く必要ないんじゃね?

選択的夫婦別姓の早期実現を待望する


政権交代以後、個人的には一番うれしいニュース。

 政府は、夫婦が別々の姓を名乗ることを認める選択的夫婦別姓を導入する方針を固めた。

 早ければ来年の通常国会に、夫婦同姓を定めている民法の改正案を提出する方向で調整を進める。現行の夫婦同姓は1947年に民法に明記され、約60年ぶりの大幅改正となる。


様々な面で新政権には期待していますが、自分自身の生活に直結する問題という意味で、この件が一番身近な問題でした。夫婦の一方が姓を変えなければならない、しかも実際にはほとんどその負担が女性に集中しているという理不尽で不公平な制度は、一刻も早く改善されてしかるべきでした。しかし自民党政権下では毎回毎回潰されてきました。


選択的夫婦別姓に反対するということは、「それぞれ違う姓でいたい」という夫婦、そして「同姓か別姓か、自分達で選びたい」という人々に対して、選択の自由を与えてはいけない、という非常に強い主張です。しかし、なるほどそれだけの強い主張に見合うだけの筋の通った根拠だ、と思えるような議論を、私は目にしたことがありません。やれ「家族が崩壊する」だの「子供の名前で揉める」だの、根拠のない憶測とお節介ばかり。同姓を望む人は好きにすればいいだけなのに、あんた達のありがたいパターナリズムで他人の幸せを邪魔するのはやめてくれ、と思ってましたが。今回もある程度の議論はあるでしょうが、これまで以上の説得力ある反対論はもう出てこないだろうと思っています。


詳細の詰めはまだこれからでしょうが、早ければ来年の通常国会だそうで、待ち遠しいばかりです。

祝日より有給


シルバーウィークとかいうんだそうで、連休で旅行などから返ってくる車で高速道路が渋滞してるってニュースをみかけました。1,000円の効果かー、無料化したらやっぱりもっと混むんかなー、まー俺は無免許だから関係ないけどー、などと思って眺めてたんですが。

そもそもゴールデンウィークやら盆正月やらに混雑するのって、皆が一斉に休むからですよね。まあ正月に関しては、正月くらい皆休んでもいいだろうとも思うんですが、それ以外って別に一斉に休まなくても良くね?お盆は、伝統にのっとって祖先の霊を迎えたりとかする人も少なくないでしょうが、単に静養とか旅行とかする人でも、会社がその時期みんな休みだから休むって人も多そう。皆に合わせて休んだほうが効率よく仕事できる、というのもわかるけど。なんでわざわざ自分の静養をそこまで皆に合わせるんだろうか。せっかく「自分の時間」をとるのに、そのタイミングは仕事優先なのか。もったいない。まあ、お客さんに合わせなきゃならん人も結構いるんだろうけどなー、お気の毒に。


私は夏期休暇なんかでも盆じゃなくて結構ずれた時期に取るんだけど、有給にしても、去年の記事だけど、

日本人の有給休暇消化率は最低 - 欧米主要8カ国との比較調査で | ライフ | マイコミジャーナル

とか見ると「仕事が忙しく休暇をとっている暇がない」って何だよそれー。ほんと働くの好きだなー。「休まなきゃいけないからこの仕事は無理」ってなる人なんてほとんどいないんだろうな。「取りづらい雰囲気だから」とか、ひどいのは「経営者や上司がもっと有給休暇をとることを奨励してくれれば」って子供かお前ら。


そうそう、ついでに言うと「お休みを頂いております」っていう言い方も最低だと思う。いや僕も言ってるんだけどさ。いつもなんだかなーって思いながら言ってる。


こんなだから、「他人が働いていようが、ともかく自分が」休みをとるのがみんな苦手で、祝日みたいな「お墨付き」の休みじゃないとレジャーを楽しめないという。そんでわざわざ渋滞に突入していくっていう。僕はコレすげー情けない状態だと思うんだけどどうですかね?「お上が用意してくださる」祝日なんか減ってもいいから、自分で選べる有給がもっと欲しいよ。オレはオレの休みたいときに休みたい!

温室効果ガス25%削減、右派が歓迎してもよさそうなのにな


25%という数字について、評価が分かれてますが。毎日の「社説ウオッチング」で比較されてますが、毎日、朝日の社説が評価する内容だったのに対して、読売や産経は批判的なようです。

これに対し、読売、産経は懸念や懐疑的な視点を示した。厳しい排出基準を課され国内産業界や国民生活の負担が増大する事態を警戒したためだ。「高い削減目標より、現実的な施策で世界の排出削減に貢献する。それが日本がなすべきことだ」と読売は主張した。産経は「景気回復の出はなをくじかれてはたまらない」と懸念、「日本が突出して高い削減率を示すことにどういう意味があるのだろうか」と疑問を投げかけた。


僕自身は、例えば地球環境戦略研究機関でのセミナーのまとめにあるような、

国際社会に低炭素社会づくりの手本を示さねば、環境立国とは言えない。現状の産業構造をそのまま維持するのではなく、長期的な変化を先取りすることが日本の競争力を高める。

低い削減目標を提示すれば世界から見向きもされなくなる。野心的な目標設定をバネとして日本を変革していくことが重要である。

あるいは

明日香氏:目標設定は少なくとも先進国全体で25%〜40%削減の道筋に則るべきとした。
末吉氏:温暖化防止における資金支援政策の重要性を強調すると共に日本はポスト京都交渉でのリーダーシップを示すに十分な数値を設定する必要があり、数値設定と同時に低炭素社会づくりに向かう世界との競争で勝つための国内の削減努力を支援する政策枠組みを作ることが重要と述べた。

といった議論に説得力を感じるので、野心的な目標設定は大いに結構だと思っています。


この件で保守派が批判的なのは、もちろんある種の産業にとって負担となることや国際競争力の面での不安があるのは理解できます。ただまあ、ネットの反応なんかの中には単に民主ぎらいってだけなんじゃないかと思うものも少なくないですが。


しかしなんというか、はてブで定期的に上がってくる「日本SUGEEEE!!」系のコピペに鼓舞される人達は、この件をもっと歓迎してもよさそうなもんだと思うんですけれど。いかがなもんなんでしょうか。25%という数字だって、日経が「科学が先進国に要請する削減幅の下限」というように、また少なからぬ専門家が評価するように、無理筋でもトンデモでも何でもないわけです。環境次官だって「あり得ない数字ではない」と言ってるし。家計にいくらいくらの負担増、みたいな話もいろいろありますが、その手の政府試算は多分に FUD 的要素があるようなので、かなり慎重に見ていく必要があると思いますよ。

日頃「日本人としての誇り」とか言ってるんだったら、「日本SUGEE」みたいな自分が何も貢献してない過去の栄光を反芻してないで、自分達が未来に貢献することを考えればいいのにな、と思う。日本が「世界をリードする」チャンスなんだから。そういうの好きでしょ?中国やアメリカがコミットせざるを得なくなってくる状況とか、嬉しいんじゃないの?中・米が乗ってくるハズがないから無理、みたいな敗北主義はみっともないと思うでしょう?新しい国家的目標が出来るんだから、右派は「日本の底力を見せつけてやろうぜ」ってな気概に溢れても全然おかしくないと思うんだけどな。

それでも支持は無理ですかね?わが国が国際的にイニシアチブをとれるかもしれないのにさ。「民主党ぎらい」をとりあえず置いて、前向きになったほうが絶対いいと思うんだけど。

新政権に、死刑執行の停止を期待する


政権が変わって、新しい内閣で法務大臣に誰が就任するかはまだわかりませんが。


死刑をめぐる国際的な状況は、7月の死刑執行の際に出されたアムネスティの声明に要約されています。

法律上、事実上の廃止を合わせると世界の70%以上の国が死刑を廃止している。2008年に死刑執行を行った国は25カ国である。東アジアを見ると、韓国では10年間、台湾では約3年間死刑執行は行われていない。G8諸国で日本のほかに唯一死刑を執行している米国でも死刑執行は抑制傾向にある。さらに死刑の適用に積極的であるとされるイスラム諸国の中にも、近年、死刑の適用について慎重な国々が増えつつある。日本は死刑の適用を増やしている、世界で数少ない国となりつつある。

国際的な死刑廃止の流れを受け、2008年12月18日には国連総会において2年連続となる死刑執行の一時停止を求める決議が採択された。また、2008年10月には、国連自由権規約委員会が、「世論の動向にかかわりなく、締約国は死刑の廃止を考慮すべき」とし、世論を口実に死刑廃止に向けた措置を一切とろうとしない日本の態度を非難している。


死刑の全面的な廃止に本格的に取り組んでくれれば本当は一番いいのですが、そうでなくとも、少なくとも法務大臣の判断で執行を停止することはできるわけです。連立を協議中の社民党マニフェストに死刑の執行停止を掲げていますし、国民新党の新代表となった亀井静香議員は死刑廃止論者として有名ですから、この面では何の問題もないでしょう。加えて、志布志事件足利事件といった冤罪の問題も広く知られ、昨年刑が執行された飯塚事件についてもテレビなどで取り上げられる機会もありましたらから、わが国としては比較的、世論の理解も得られやすい条件下にあると思います。

法務大臣に就任するのが誰であれ、死刑の執行が停止されることを期待しています。もう殺すのはやめよう。