しつこいようですが、柳沢発言の件


自分が左派らしからぬ発言をしてるという自覚はあるんですよね…。

http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070205/1170609361
での id:kurotokage さんの丁寧な批判や、
http://www.janjan.jp/government/0702/0702039350/1.php
を読むにつけ、「機械」というたとえが何故これほど大きな怒りを呼ぶのかについては、それなりに理解が深まったように思います。といって自分の内から急に怒りがわいてくるとかいうわけでもないのですが。


というわけで、

  • 柳沢大臣は公の場であまりにデリカシーのない、侮辱的な発言をするような配慮の足りない人物だ
  • 自らが大臣として取り組むべき問題やその歴史的・文化的背景についての理解・認識が、あまりにも浅い

という批判には、徐々に同意できるようになってきました。後者の批判については、たぶん僕自身も当てはまるのでしょう。大臣じゃなくてよかったです。
しかしこれらの理由から、例えば「辞任の要求は理解できる」と考えたとしても、今回の騒ぎの中にはまだ僕には納得できない点が残ります。

柳沢大臣女性差別主義者か?

端的に、僕にはそうは思えないのです。あの発言を「日ごろ思っている本音がポロリと出た」と捉えるか、それとも「普段考えてることとは全然関係ないが、よく考えもせずにうっかり不適切な表現をした」と捉えるかによって、発言そのものや柳沢個人に対する評価、といって言いすぎなら、それらに対する感情的な反応は全く違うだろうとはいえると思います。


あの発言以外に、それが本音と考えるだけの理由があるのでしょうか?もうこの辺は主観や印象が強く作用するのでマトモな議論にはならないんだろうと思いますが、結局ここが一番引っかかるんですよ。彼が以前からそういう発言を繰り返していたという話は聞きません。ホワイトカラー・エグゼンプションは全然別の話だし。また、その後で(石原都知事がよくやるような)開き直りを見せたりはせず、発言の不適切さを理解しているように見えます。「わざわざ」「あえて」そう言ったのではなく、「うっかり」そう言ったように聞こえるんです。発言要旨から受ける印象でも、「機械」と言った次の瞬間にはもうその不適切さに気づいているように見えます。不適切と知っていたのにあえて言った、のではなくて、言った直後に不適切さに気づいた、としか僕には思えないんです。ここが逆だと全然違うでしょうが、もうこれは印象の話ですね。
また、彼の妻は大学教授だそうですが、ならばその世代の女性が社会的地位を得るのにどれほど苦労してきたかについて、同世代の男性に比べてずっと深く理解しているんじゃないだろうか、と考えるのはそれほど不合理な推定ではないでしょう。まぁ、これも憶測に過ぎないと言われればそうですけど。


僕にだって雑談の中で政治的に正しくない比喩をうっかり使ってしまい、あわてて引っ込めたことは何度かあります。もちろん公の場での大臣の発言は重みが違う。けれど、そういう「失言」をたいした根拠もなく「本音」などと言い立て、筋金入りの女性差別主義者であるかのように扱うのは違うんじゃないかと。そんなの人格攻撃だし、レッテル貼りそのものなんじゃないかと。あの発言が本音とは思えない僕からすると、そう見えるんです。

まあ私は私で「たかがビラ配りやポスター貼りで長期拘留される人間には冷たいのに、大臣という重要ポストにいる人間には何故こんなに甘いのだろう」という考えが底にあるのですが。

この件に関しては、僕の発想はだから、逆なんです。「大臣という重要ポストにいる人間」に対しててあれば、いわれのないレッテル貼りが許されていいのか?という。
が、もちろん柳沢大臣の続投を希望してるわけではありません。念のため。

「本題」

しかし、子供を産めない女性・産まない女性が社会的にどう評価されるかについて考えている人間にとっては、それが別の議論から出てきたものであっても、いったん世に出された以上問題としなければならないわけです。

僕も、それが枝葉末節とは思いません。「少子化」を「対策を要する問題」と捉えること、さらには「出生率を上げることで対処する」という発想自体に、そういった問題性があることは理解しているつもりです。というか、あの発言を糾弾するだけでは全然建設的じゃないでしょう、もっとマシな政策をバーンとアピールするチャンスなのに、糾弾ばっかしてるのはもったいないだろ、というような意味で言ったつもりです。ただ野党側が「産まない・産めない」女性の社会的評価といったことまで射程に入れた議論をしてくれるなんて期待は、あまりできなさそうですが。