死刑廃止論の補足
ついでなので、もう一回だけ。別に他の廃止論者を代弁するつもりはないですし、ちょっと疲れてもきたので『インパクション (156) 特集:死刑―新たな段階へ』(2007年)から引用して紹介するに留めておきます。
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まず、死刑廃止論の立場からは当然ながら死刑判決の増加そのものも問題視していますし、検察や裁判所や法務省を批判しています。そして死刑の「乱発」の原因についてこう言います。
現象面からすると、被害者感情が司法さえも支配しはじめたからだといえる部分があります。司法が、被害者遺族の無念さや憎しみや怒りを代行しているんですね。司法は、もともと、人を殺していいと思っているんですから。
しかし、もっと大きな原因は、警察や検察や法務省などの治安当局が不安を垂れ流していることだと思いますね。このかん犯罪は減少し続けています。刑事犯全体もそうですが、いわゆる凶悪犯も減少し続けているんですね。しかし、彼らはそのことについては、口をつぐんでいるんです。…(中略)…そして、今の裁判所は、しょせん、官僚集団になってしまって独立性などまったく失ってしまっていますから、治安当局の方針に忠実であるだけでなく、率先して、これを実行している。その結果だと思います。
(p.17)
そして、法務大臣の執行命令は法の規定によっているだけだという説明にたいしては、こう言っています(文中の「彼」は長勢前法相)。
刑訴法は刑罰の執行は検察官が命令すると定めていますが、唯一死刑だけは、検察官ではなく法務大臣が命令すると定めているんですね。これは、法務大臣が政治判断をすることを求めているんです。つまり裁判所のような法の適用という画一的な判断ではなくて、法の適用を超えたさらなる政治的判断を予定しているんです。それは死刑を執行しなければならない必要性と正当性について、法務大臣に判断せよと言っているわけです。彼は、その法の趣旨を理解していないんです。裁判所が決めたからやらなきゃならないと言うなら、わざわざ法務大臣に命令権を与える必要など全くないわけです。
(p.19)
法務大臣は、執行命令を出すことの正当性と必要性について常に政治的責任を負っている。そして、それに見合った裁量権を持っていると言っていいと思います。判決があるから執行しなければならないとするのは、行政官つまり官僚の発想です。彼は、職責を放棄しているんですね。
(p.20)
自分の言葉で少し言えば、法務大臣の命令書がなければ執行できないのですから、法務大臣には執行を実質的に停止させるだけの力が与えられているわけです。また「6ヶ月以内に執行」という規定は「訓示的規定」であって、拘束力はないとされています。現に、過去に大臣がサインを拒んだ期間は、実質的に死刑執行が停止されていたのです。法務大臣にはそれが可能なのだから、その権限において執行を停止すべきだ、というのが法務大臣に対する批判の源泉だと思います。
また、死刑廃止を求めるということは、国家の手で人の命を奪うのはやめよう、ということです。その原点からすれば、まず現実に死刑が執行されないことが重要なのです。制度の廃止・法律の改正も必要だと考えますが、なにしろやりなおしが効かないことですから「法改正を目指す間は死刑執行に目をつぶる」というわけにはいかないのです。なので、まず実質的な執行の停止を、そしてさらに法改正を、という順序になるんですね。
死刑廃止の論点は結構広くて多様ですし、僕自身は、それらの議論の中に必ずしも納得できないものもあります。でも、考えさせられる議論も多いですよ。関心を持たれた方はいろいろ調べてごらんになるといいと思います。