佐藤俊樹『不平等社会日本』


なんか格差社会の議論が出てて、世代間での格差の継承や拡大についての話を読んでて、以前読んだ本が非常にわかりやすかったのを思い出したので紹介。当時もそれなりに話題になったので、既に読まれてる方も多いでしょうけど。2000年の本です。

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)


佐藤はこの本で「社会格差と社会移動全国調査」、略称SSM調査のデータをつかって、格差の問題を具体的な数字にもとづいてわかりやすく論じています。

あらかじめ答えをいっておくと、戦後の高度成長期にはたしかに日本は、戦前にくらべて「努力すればナントカなる」=「開かれた社会」になっていた。だが、近年、その開放性は急速にうしなわれつつある。社会の10〜20%を占める上層をみると、親と子の地位の継承性が強まり、戦前以上に「努力してもしかたない」=「閉じた社会」になりつつある。


また、「知識エリートは再生産される」という章では、世代間で階層が継承されており、高学歴の獲得が本人の努力ばかりによるものではないとしたあと、こう言いっています。

にもかかわらず、高い学歴をもつ人間は実績主義にかたむく。自分の地位を実力によるとみなせる。親の学歴や職業といった資産が、選抜システムのなかで「洗浄(ロンダリング)」されているようなものだ。「本人の努力」という形をとった学歴の回路をくぐることで、得た地位が自分の力によるものになる。だからこそ、自分の地位を実績主義で正当化できたり、努力主義を「負け犬の遠吠え」とみなせたりする。そういう魔力こそが、「学歴社会」の「学歴社会」たるゆえんなのだ。


具体的な数字で説得力ある議論になってると思うし、なにしろ読みやすいのでお勧めです。これに対する反論も当時いろいろ出てたように思いますが、そっちはあまり追ってないのでわかりません…。


ところで個人的には、世代間で格差が再生産されることも大きな問題だけど、といって「機会の平等」が実現されれば格差問題はそれで終わり、とは思いません。機会の平等だけでは、たまたま能力とか素質とかに恵まれなかった人には恩恵がないし、そういう人々に対しては施しを与えれば済む、という話でもないと思うからです。