かつて、「1」は数ではなかった
シモン・ステヴィンがその著書『算術』に「1は数である」と大きく書いたことについて、『小数と対数の発見』で山本義隆はこう書いています。
現代の私たちにはあまりにも当たり前のことを言っているように思われるが、この時代、「1が数である」という見解の表明は、数の理解としては、あえて強調しなければならないほどに革新的な、いや革命的なことであった。(p.79)
どうも西洋では、プラトン以来「数というのは集まったもののこと」で、その単位である1は、それ自体としては数ではない、という理解が続いていたようなんですね。本書でも紹介されていますが、古代以来いろんな人が「1は数じゃないぞ、間違えるなよ」みたいに念押ししてます。そこへステヴィンが「いや1も数でしょ」と言い出したわけです。なんか現代だったら Togetter にでも論争がまとめられそうな雰囲気です。
この本は、10進小数と対数の発見をたどるものです。まだ前半しか読んでいませんが、大変に興味深いです。我々はあまりにも10進数に親しんでいるので、ヨーロッパで長いこと60進小数やら、複雑な度量衡やらが使われていたこと、それらの計算が非常にやっかいだったにもかかわらず、10進に移行するのにとても長い時間が必要だったことなどに驚かされます(1ポンド=16オンス=7000グレーン、なんて現代でも使われてます)。また、哲学的な数についての思考は離散的なものに偏りがちで、連続的な量としての数についての算術は実際的、技術的な背景のなかで発展してきたというのも面白いです。
山本義隆の本は、例の三部作が非常に面白かったです。
『小数と対数の発見』は、「『世界の見方の転換』執筆の過程で放棄した陶磁の数学の変化」について、日本数学協会の『数学文化』に連載した内容をまとめたものだそうです。ですから、これらの本が面白かったという人には、あの知的興奮の続きを味わえるのではないかと思います。
ところで、「あとがき」のなかで2017年に著者が「ベトナム反戦闘争とその時代」展のためにベトナムに行ったことを「実に私にとってはじめての海外旅行で」と書いていたのに衝撃を覚えました。これまでの著作の、あれだけの研究を、日本から一歩も出ずにやっていたなんて!すごい、というほかに言葉がでてきません。